飽くなき地景

飽くなき地景』とは

 

本書『飽くなき地景』は、2024年10月にKADOKAWAからソフトカバーで刊行された、長編の現代小説です。

旧華族の烏丸一族の嫡男である治道の戦後を俯瞰する物語で第172回直木賞の候補となっていますが、個人的な好みとは異なる作品でした。

 

飽くなき地景』の簡単なあらすじ

 

不動産事業で財を成した旧華族の烏丸家。その嫡男として生まれた治道は、東京に無数のビルを建設し、伝統ある景観を変えてしまう家業を嫌い、烏丸家に伝わる美しい名宝の数々を守っていきたいと志していた。だが、父・道隆の企みにより、家宝である粟田口久国の「無銘」が凶暴な愚連隊の手に渡ってしまう。刀を取り戻すため、治道はある無謀な計画を実行するのだが…。戦後復興と経済成長、オリンピックー時代が進み、東京の景色が変化し続ける裏側で「無銘」に関わる事件が巻き起こる。刀をめぐる一族の秘密と愛憎を描く美と血のノワール。(「BOOK」データベースより)

 

飽くなき地景』の感想

 

本書『飽くなき地景』は、歴史上実在した人物や地名が登場するなかで、ある旧華族の運命を描いた第172回直木賞候補作となった長編の現代小説です。

ただ、物語の内容もさることながら、文章に改行が少ないために非常に読みにくさを感じたためか物語の展開も分かりにくく、私の好みとは異なる作品でした。

これまで、例えば今野敏の各作品のように改行が多い作品を多く読んできていたので、本書のような作品は頁内の文字の量が多すぎてとても読みにくく感じたのです。

 

本書を読んで一番に思い出した作品が、第13回山田風太郎賞を受賞し、第168回直木賞受賞作となった小川哲の『地図と拳』という長編の歴史小説です。

この作品は、家族が描かれた本書とは異なり、太平洋戦争へと至る過程の満州を舞台にした群像劇であって、とても論理的な文章で描かれた難解な作品です。

共に重厚な物語であり、読み通すのにかなりの努力が必要という意味で思い出したのだと思います。

 

本書『飽くなき地景』は、前後の「プロローグ」「エピローグ」を除けば全三部からなっている物語ですが、物語自体の展開はあまりないと言っていい作品です。

第一部は、父親が売り払ってしまった無銘の粟田口久国という刀剣を、渋谷の愚連隊を相手に取り戻す様子が語られています。

ここでの愚連隊というのが、読了後にネットで見ると安藤昇をモデルにしているのではないかと思われるのです。

第二部は主人公の治道が勤務する烏丸建設がスポンサーとなる高橋昭三というマラソン選手との物語です。

そのモデルは多分円谷幸吉だと思われます(以上 NEWSポストセブン : 参照 )。

そして、第三部になるとより直接的に烏丸家の家族の話へとシフトします。その中でこの物語の核となっている粟田口久国に隠された秘密などが明かされていくのです。

 

本書の特徴といえば、まずは白洲次郎浅利慶太など歴史上実在した人物たちが実名そのままに登場してくるということでしょうか。

また、本書で描かれる東京の街並みなども現実に存在した地名そのままだと思われます。

作者自身、「丹下健三や田中角栄のように作中では喋らないキーマンは実名にし、お店も治道の大学の近くの『葉隠』や『金城庵』、あとは『渋谷ロロ』のような今はない店も含めて、現実との接点になってくれるといいなあと思って実名にしています」と述べられています( NEWSポストセブン : 参照 )。

 

本書のように歴史上の人物が実名のまま登場してくる作品は少なくない数のものがありますが、近時では月村了衛の『東京輪舞』のような作品を思いましますし、長浦京の『プリンシパル』という作品もあります。

月村了衛の『東京輪舞』は昭和・平成の重大事件の陰で動いた公安警察員を主人公とする日本の戦後裏面史とでも言うべき作品であり、本書のように日本の戦後史の中で描かれる家族の物語とは少々異なります。

一方、長浦京の『プリンシパル』は、関東最大の暴力団の組長となった二十歳代の女性教師の眼を通した戦後日本の裏面史を俯瞰したアクション作品で、これまた本書とは異なります。


 

次の特徴といえば、先に述べた一頁における改行回数の少なさであり、そのことは読みにくさへと繋がっています。

ただ、読了後に読んだ他の人の評価では、本書の文章は「美しい風景を通して登場人物の心の葛藤が描かれてい」るとの感想もあって、私の印象とはかなり異なります。

 

また、もう一点挙げるとすれば日本刀を主題としていることであり、この日本刀をめぐる家族の物語だということでしょう。

本書のタイトルの『飽くなき地景』の「地景」という言葉からして、「地鉄(じがね)に現われる黒光りする線状の模様のこと」を言うそうです( 刀剣ワールド : 参照 )。

 

以上、繰り返し書いてきたように、本書『飽くなき地景』はかなり読みにくさを感じた作品であり、その描かれている内容からしても私の好みとは異なる作品でした。

ただ、その読みにくさを何とか乗り越えて読了したところ、読書途中で感じていた拒否感のような印象は当初程にはなかったことは付記しておきます。

烏丸治道の父道隆や兄直生に対する感情の在りようがそのままに受け入れられるわけではありませんが、烏丸一族の物語としてそれなりに受け入れることはできると思うようになりました。

まったくの拒否感だけではなかった、ということでしょうか。

この作者のデビュー作である『擬傷の鳥はつかまらない』というハードボイルド作品を読んでみようか、という気になっているのです。