水を出る 軍鶏侍4

「まさか、市蔵が」忽然と姿を消した岩倉源太夫の次男市蔵。源太夫が上意討ちした男の息子だった。すべてを覚悟の上で引き取り育てていたのだ。しかし、何者かが、その真相を告げてしまう。尊敬する父が、実の親を殺した敵…。失踪直前、明るかった市蔵は塞ぎがちになっていた。そして父として源太夫がとった行動は―。人の成長と絆を精緻に描く、傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)

「軍鶏侍」シリーズの第四弾で、四編の作品が収められている短編集です。

「軍鶏侍」シリーズの第四弾です。「道教え」「語る男」「口に含んだ山桃は」「水を出る」の四編が収められています。園瀬藩の暮らしが情感豊かに語られるこのシリーズも、更に安定感が増し、シリーズとして落ち着いた形が出来上がりつつあるようです。

「道教え」
源太夫の師匠である下駄の師匠こと日向主水は病の床にあった。その枕もとにはかつて源太夫と共に日向道場で学んだ仲間たちが坐していた。かつて日向道場に通う時に見たハンミョウ(斑猫)又の名を「道教え」をモチーフに、死を間近にした母の望みを断ち切ったと、ひとり悩む弟子を見守り、導く源太夫の姿が描かれます。

「語る男」
突然、源太夫が江戸勤番のおりの椿道場での相弟子であった榊原佐馬之助が訪ねてきた。かつての面影はさらになく、今は乾坤斎夢庵と名乗る軍記読みとなっていた。この夢庵が、園瀬藩にとっての大事件をもたらすことになるのだった。

「口に含んだ山桃は」
源太夫は岩倉道場の高弟である柏崎数馬から、源太夫の道場に学ぶ黒沢繁太郎が、同じ弟子の小柳録之助の妹の色香に迷い、道を踏み外そうとしている、との相談を受けた。その話の裏には園瀬藩の改革につながる複雑な事情もあったのだが、男女のことには疎い源太夫はその処置に悩むのだった。

「水を出る」
源太夫の息子市蔵が自らの出生の秘密を誰かから吹きこまれたらしい。源之丞がかつて打ち取った男の子が市蔵だったのだ。ひとり思い悩む市蔵だったが、ある日出奔してしまう。そこに下男の権助が、何か心当たりがあるらしく、旦那様夫婦は普通どおりにしておいてくれと言うのだった。

(「とにかく読書録」参照)

園瀬の里で開いた自分の道場も順調に運営できており、夫としても、また父としても、更には師としても充実している毎日の源太夫です。今回はこれまでの作品とは若干異なり、剣士としての源太夫の影は控えめで。父若しくは師としての源太夫が前面に出ています。ただ、園瀬藩の絡みとして幕府隠密の話が持ち上がっています。

シリーズも四巻目になり、背景が大きく感じられる物語として成長しています。その一因として、各話ごとに描かれる園瀬の情景の美しさがあるでしょうし、その中で成長していく源太夫を含めた登場人物たちの姿があると思われます。

自分が戦った相手の忘れ形見を自分の子として育て上げる、という話としては、佐伯泰英の『酔いどれ小籐次シリーズ』があり、そちらでも心ない人物が子供に実の父親は別にいるということを聞かせたりしています。そうした環境の中で主人公が育てる子はどのように育つのか、物語の中での他の子らの成長とともにどのように描かれるのかも楽しみの一つとなっています。

遊び奉行

本書『遊び奉行』は、園瀬藩内の権力争いの姿を描いた、文庫本で480頁の長編の痛快時代小説です。

野口卓の人気シリーズの一つである『軍鶏侍』シリーズの番外編という位置づけの作品です。

 

遊び奉行』の簡単なあらすじ

 

「遊び奉行」とは、禄高の割に月に一日の勤めでよいことから裁許奉行に付けられた別称である。藩主の長男ながら側室の子ゆえに、家老家に婿入りした九頭目一亀は、武士には禁じられている園瀬の盆踊りを踊った罪で、その暇な奉行に降格させられた。愚兄と誹られた振る舞いだったが、その陰には乱れた藩政を糺すための遠大な策略が!清冽で痛快な傑作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

亀松は、園瀬藩主斉雅の長子ではあるが、妾腹の子であるために藩主のあとは継げない立場だった。

その亀松は、園瀬藩家老九頭目伊豆の婿養子として一亀を名乗り園瀬に国入りするよう、父斉雅から命じられた。

一亀が園瀬に入ると、園瀬では藩政改革のためにと一亀をまつりあげようとする集まりが持たれていた。

 

遊び奉行』の感想

 

本書『遊び奉行』を読み始めは、『軍鶏侍シリーズ』と舞台を同じくする物語だと思いながら読んでいました。

しかしながら、『軍鶏侍』では主人公である岩倉源太夫が園瀬藩の権力争いに巻き込まれる話が展開されますが、この物語はその折の政争を別な視点で描いた作品だったのです。

ということで、この場面は『軍鶏侍』のあの場面のことだ、と実に楽しみながら読むことができました。

勿論『軍鶏侍シリーズ』の岩倉源太夫も登場します。権力者側から同じ場面を描いているので岩倉源太夫が登場するのも当たり前と言えば当たり前ですが、ここの構成が実に面白い。

また、本書『遊び奉行』の主人公である一亀は、武士は見ることさえ許されていない盆踊りに加わったことが発覚し、裁許奉行とされてしまいます。

この際の盆踊りの描写が上手いのです。モデルである「阿波踊り」を彷彿とさせる踊りが、実に軽やかに、また楽しそうに描写してあります。

この踊りの描き方の上手さもさることながら、舞台となる土地の風景の叙述があってこそのこの盆踊りであり、物語だとの思いを深くしました。

それほどに情景描写が上手いのです。この点は『軍鶏侍シリーズ』においても感じたことなのですが、本書では一段とその思いを強くしました。

こうしたこともあって、藤沢周平が描いた海坂藩との比較がされるのでしょうし、またそれも当然だと思うのです。藤沢周平の海坂藩ものと言えば海坂藩大全(上・下)があります。

直木賞受賞作『暗殺の年輪』も収めた一読の価値ありの作品でしょう。

 

 

藤沢周平の情景描写の見事さは今さら言うまでもないのですが、野口卓という作家もまた負けず劣らずの上手さを発揮しています。

勿論、条件描写が上手いというだけではありません。テンポあるストーリ展開、そしてそのストーリーを読ませる文章の上手さもまた評価されて良いと思うのです。

ただ、野口卓の他の作品は、2021年4月現在では、『軍鶏侍シリーズ』ほどの作品は発表されていません。

落語などに造詣が深く、『ご隠居さんシリーズ』のような野口卓という作家の博識ぶりが発揮された作品となっていて、ストーリー性があまり無い作品ばかりとなっています。

 

 

軍鶏侍シリーズ』のような、抒情性に満ちた作品を読みたいものです。

飛翔 軍鶏侍3

礼儀正しく、稽古熱心。軍鶏侍・岩倉源太夫の道場で「若軍鶏」と呼ばれる大村圭二郎。そんな彼が目の色を変え、さらなる猛稽古を始めた。不審に思った源太夫が調べると、彼の父の不正が冤罪だったことがわかる。父の無念を晴らすため、仇討を望んでいるのだ。彼のために師として、源太夫ができることとは(「巣立ち」より)。ともに成長する師と弟子、胸をうつ傑作時代小説。

「軍鶏侍」シリーズの第三弾で、三編の作品が収められている短編集です。このシリーズの世界感も確立しているように思われます。もう、安心して読むことのできる作品であり、作家さんだと言っていいのではないでしょうか。

「名札」
シリーズ第二作目の第一話「獺祭(だっさい)」で、源太夫を闇討ちしようとした仲間の一人ではありながら、源太夫の道場に通っている深井半蔵という若者がいた。源太夫の道場では名札の位置で格付けが為されていたが、半蔵は自分の名札の位置に不満があるらしい。源太夫は一計を案じ、十四歳の藤村勇太と二十三歳になる半蔵とを対決させることにするのだった。

「咬ませ」
若い軍鶏を育てるには、「鶏合わせ」という方法を取る。「鶏合わせ」とは闘鶏のことであり、実際に軍鶏同士を戦わせることを言います。源太夫は権助の助言に従い、そこに強く美しい軍鶏でありながら八歳という高齢の軍鶏「義経」を「咬ませ」として戦わせようとするのだった。

「巣立ち」
シリーズ第一作目『軍鶏侍』の第三話「夏の終わり」で登場し、今では「若軍鶏」と呼ばれるほどに成長した大村圭二郎の物語です。圭二郎の父親は自らの非違により自ら腹を切ったことになっていたが、実は大目付の林甚五兵衛に殺された事実を知る。仇を討つべく稽古に打ち込む圭二郎の姿に隠された事実を知った源太夫は、何とか仇を討たせるべく奔走するのだった。

第一話の「名札」は、源太夫の道場で学ぶ弟子たちの成長を見守る源太夫、という源太夫の師匠としての顔が描かれた作品です。と同時に、弟子たちの成長譚でもあります。ただ、これまでの物語の中では深井半蔵らの人物造形はありがちであり、話自体もこれまでの物語に比べると深みを感じませんでした。

その点では第二話の「咬ませ」も同じような出来ではあったのですが、権助と源太夫との関係性を感じるには面白い作品でした。

本書では何といっても第三話の「巣立ち」が一番でした。話自体は決して目新しいものとは感じなかったのですが、圭二郎の成長には目を見張るものがあり、と同時に源太夫の向上する姿に心打たれるものがあります。

獺祭 軍鶏侍2

逆恨みから闇討ちを受け、果たし合いまで申し込まれた岩倉源太夫。秘剣・蹴殺しで敵を倒し、その技を弟子たちに見せたのだが…。その教えぶりを碁敵の和尚は、獺祭のようだと評した(「獺祭」より)。緑美しき南国・園瀬を舞台に、軍鶏侍・源太夫が、侍として峻烈に生き、剣の師として弟子たちの成長に悩み、温かく見守る姿を描いた傑作時代小説。待望の第二弾。(「BOOK」データベースより)

『軍鶏侍』シリーズの第二弾です。第一作目の『軍鶏侍』は、そのストーリーでも、また情景や心情の描写力においても、久しぶりに良書に出会えたと感じた小説でした。本書でもその印象は変わらず、更にこの物語に出会えたことがうれしくなった作品でした。前作と同様に四編の作品からなる短編集です。

「獺祭(だっさい)」
獺祭とは、「カワウソが自分のとった魚を並べること。」だそうで、つまりは「手持ちの札をすべて並べて見せる」ことであり、碁仇である正願寺の恵海和尚から言われた言葉です。前作で秘剣「蹴殺し」を使い、武尾福太郎などの武芸者を倒したことが世に広まり、源太夫の道場も盛況になります。反面、他の道場の妬みをうけるようになり、中には源太夫を闇討ちしようとする輩も出てきます。源太夫はその立ち合いに弟子の中から有望な二人に「蹴殺し」を見せ、秘剣ではなくしようとするのです。と同時に、弟子たちの成長をも図ろうとします。

「軍鶏(しゃも)と矮鶏(ちゃぼ)」
軍鶏の卵を孵化させる方途として、軍鶏の卵を矮鶏に温めさせ孵化させるのが一般だそうです。源太夫は、太物問屋の結城屋の隠居である惣兵衛という軍鶏仲間と共に、美しい軍鶏を育てることに熱中します。そこに、源太夫の道場に通う森正造という九歳の少年の画才を見出した源太夫は、何とか正造を画の道に進めようとするのですが。正造の父森伝四郎はそれを許しません。その訳は意外なところにありました。

「岐路」
源太夫は、前作の「沈める鐘」で描かれた、源太夫が討ち果たした、源太夫の今の妻みつの前夫立川彦蔵の月命日には、彦蔵に殺された彦蔵の後妻の弟である狭間銕之丞を墓参に連れて行っていた。その折に銕之丞は古くからの知己らしいひとりの娘と出会い、想いを寄せあっているようであった。また、同じく源太夫の弟子のひとりである田貝忠吾が、どうも女性の絡んだ事柄で屈託を抱えているらしく生彩を欠いているのも気になっていたが、朴念仁の源太夫にはどちらも手に余る事柄だった。

「青田風」
前作の第一話「軍鶏侍」で、源太夫は親友であった秋山精十郎を討ち果たしたが、彼には一人娘がおり、今では娘の母親の面倒を見ていた湯島の勝五郎という顔役のもとで勝五郎を父として元気に育っていた。その娘が勝五郎とともに園瀬に来る。その裏には秋山精十郎を嫌いぬいていた兄で、父の名を継いだ秋山勢右衛門の存在があった。

冒頭にも書いたように、このシリーズは文章も物語の構成も見事に私の好みに合致した物語です。このごろの時代小説の中では青山文平氏の作品をベストだと思っているのですが、その青山氏の作品に負けない面白さを持っていると感じています。他にも読み応えのある時代小説が数多く出てきてはいるのですが、このシリーズに勝るものは無いと思っています。

軍鶏侍

二人が手を放すと同時に、軍鶏は高く跳び上がり、鋭い爪を突き出して相手の顔を狙う―。闘鶏の美しさに見入られ、そこから必殺剣まで編み出した隠居剣士・岩倉源太夫。その腕を見込まれ、筆頭家老から呼び出しを受けたことから藩の政争に巻き込まれることに。そんな折、江戸で同門だった旧友が現われる…。流麗な筆致で武士の哀切を描く、静謐なる時代小説誕生。(「BOOK」データベースより)

「軍鶏侍」「沈める鐘」「夏の終わり」「ちと、つらい」「蹴殺し」の連作短編からなる時代小説です。読みやすい小説ではあるのですが、だからと言って軽い作品ではありません。よく藤沢周平作品との類似、比較をされる小説でもありますが、シリーズ一作目の本書で独自の世界が出来上がっています。

本作品の主人公である岩倉源太夫は、江戸での修業の折、師匠筋の秋山勢右衛門に見せられた「軍鶏」の美しさに魅せられ、自らも軍鶏を育て始めます。この点がまず特色の一つでしょう。そして、徳島県をモデルにしていると思われるこの物語の舞台となる園瀬藩の描写が美しい。

また、人物造形のうまさも光り、源太夫の人間としての魅力もさることながら、何といっても下働きの権助の存在が大きいのです。時には軍鶏の飼い方や釣りなどの分野では源太夫の師ともなる源助で、源太夫にも「何者」かと言われるほどの人物です。

人間関係のわずらわしさをきらい、若いうちから隠居の道を考えていて、実際その通りに生きてきた源太夫です。ただ、彼の思惑とは異なり、隠居はしたものの園瀬藩の政争にかかわることになります。つまりは、あれほど嫌っていた様々な人間関係を結ばざるを得ない立場になっています。

第一話の「軍鶏侍」では、この物語の主である岩倉源太夫が藩の重役からの、密書奪取の依頼を断るところから始まります。源太夫は断ったものの密書の運び役と思われる人物は殺されてしまうのですが、その暗殺犯が江戸での源太夫の師である秋山勢右衛門の息子であり、源太夫の親友でもある秋山精十郎だったのです。

第二話「沈める鐘」で、源太夫は道場を開くにあたり、やはり女手も必要ではと息子の妻女の関係先から「みつ」という名の妻をめとります。ところが、このみつのかつての夫であった立川彦蔵が刃傷沙汰を起こし脱藩したため、源太夫が討手となるのだった。

第三話「夏の終わり」では、源太夫は親友でもある藩の学問所の教授方の池田盤晴から大村圭二郎という少年を道場で預かることになります。内に閉じこもるだけの少年である圭二郎は、下働きの権助の手助けを得ながら藤が淵で見つけた鯉を捉えようとする。

第四話「ちと、つらい」は、戸崎喬之進という「侘助」と呼ばれるほどに風采の上がらない男と五尺六寸の身長の大きな女と言われている大岡弥一郎の長女多恵との縁組を賭けの対象にした物語です。二人が夫婦になったことをねたむ連中に侮蔑的な言葉を投げつけられ、果たし合いをすることになるのです。

第五話「蹴殺し」は、源太夫の道場の食客となった武尾福太郎の、巷に知られるようになった源太夫の秘剣「蹴殺し」を巡る物語です。武尾福太郎は道場で人気者となるのですが、秘剣を知りたいがために源太夫の子の市蔵を人質に取り、立ち合いを望むのです。

軍鶏侍シリーズ

軍鶏侍シリーズ』とは

 
本書『軍鶏侍シリーズ』は、南国園瀬藩を舞台に老剣士の岩倉源太夫が活躍する痛快時代小説シリーズです。

園瀬藩の風景を中心としたさまざまの情景描写が素晴らしく、また人間源太夫の振る舞いにも魅了される作品です。

 

軍鶏侍シリーズ』の作品

 

新・軍鶏侍シリーズ(2022年11月26日現在)

  1. 師弟
  2. 家族
  1. 羽化
  2. 木鶏
  1. 承継のとき

 

軍鶏侍シリーズ』について

 

野口 卓という作家で検索すると、いずれをみても藤沢周平を思わせる、との文言があります。

確かに、物語の設定や抒情感あふれる情景描写など、藤沢周平作品との共通点が随所に見られます。

ただ、これもどの文章でも触れられていることなのですが、藤沢作品の二番煎じではなく、全く独自の小説世界を構築されているのです。

 

何といっても、まずは本『軍鶏侍シリーズ』の特色としては「軍鶏」を取り上げるべきでしょう。

「軍鶏」はもとはタイから伝わったニワトリの一品種らしく、シャモという読みはタイの旧国名シャムに由来するそうです。爾後、闘鶏、食肉、鑑賞目的に品種改良が行われてきたとありました。(出典:ウィキペディア

本シリーズ第一作の『軍鶏侍』を読む前までは、タイトルのこの「軍鶏侍」という文字が気になり、奇をてらった時代小説だと勝手に思い込んでいたものです。

ところが、「時代小説SHOW」というサイトだったと思うのですが、面白いと紹介してあったので読んでみたところこれが面白い、という以上の作品だったのです。

 

また、藤沢作品には有名な海坂藩の物語がありますが、この『軍鶏侍シリーズ』では園瀬藩が舞台となっています。

この園瀬藩の描写がすばらしく、私が幼い頃に夏の間だけ住んだ祖父母がいた田舎の風景を思い出させるものがあります。

そして海坂藩は北国の庄内地方がモデルであるのに対し、園瀬藩は南国の徳島県をモデルにしていると思われます。

というのも、この『軍鶏侍シリーズ』では「阿波踊り」を思わせる「盆踊り」を以降の物語展開で重要なモチーフとして使っているのです。

 

 

それが明らかなのはシリーズ第六弾で、シリーズ初の長編である『危機』であり、シリーズの外伝である『遊び奉行』です。

この二冊での「盆踊り」に対する力の入れようはかなりのもので、徳島市生まれである著者の郷土への愛情がうかがえます。

 

 

本『軍鶏侍シリーズ』の主人公の岩倉源太夫は、「軍鶏」の戦いを見ていて思いついたという「蹴殺し」という秘剣を持っています。

この“秘剣”も藤沢作品にも見られるところですが、本書の場合、この秘剣をもって戦いに臨み勝ち抜いていく、という剣の使い手としての源太夫の他に、“秘剣”という技をつかうことの意味を自分の弟子たちに教えていく、という側面があります。

佐伯泰英の『居眠り磐音シリーズ』でも道場の弟子たちの成長が語られていますが、本シリーズでも第一巻の「夏の終わり」や第三巻の「巣立ち」に出てくる大村圭二郎や、第二巻の「青田風」、第五巻の「ふたたびの園瀬」に出てくる東野才二郎の物語など、幾人もの弟子たちの成長譚が語られています。

 

 

更なるサイドストーリーとして、自分が殺した男の子を我が子として育てたり、園瀬藩の政争への関与など、時代小説の面白さが凝縮していると言っていいのではないでしょうか。

もちろん、それはそれだけの面白さを醸し出す文章の力があってのことです。

 

忘れてならないのは、岩倉源太夫に使える下僕の権助の存在です。源太夫に「何者だ」と思わせるほどの物知りであり、何かにつけて源太夫を助けます。

また、後添えとして途中から登場するみつも、源太夫をそっと支える夫人として存在感があります。

他にも池田盤晴を始めとする源太夫の友人たちなど、この小説に登場するさまざまな人物たちの造形は素晴らしく、物語の世界で生き生きと動きまわっているのを感じます。

 

このように、本『軍鶏侍シリーズ』は剣の使い手としての岩倉源太夫の面白さの他に、源太夫の家族や、源太夫が剣を教える道場の弟子たちの成長の物語、そして源太夫が仕える藩の政争に絡む物語と、多彩な側面を持っているのです。

情感豊かに描かれる園瀬の自然にひたりながら、源太夫の弟子たちの成長を見守りつつ、源太夫自身の立ち回りに血を沸かせ、夏には「盆踊り」を堪能する。

そうした心豊かな気持ちで小説を楽しむことができる、もってこいの時代小説シリーズだと思います。

 

ここ数年続巻が出ず、このシリーズも終わったのかと思っていたところ、2018年の7月に『師弟 新・軍鶏侍』という作品が新しいシリーズとして出版されました。

以前のシリーズの最終巻『危機』から五年が経過した園瀬の里を舞台にしています。

もちろん、岩倉源太夫は健在です。ただ、あたりまえですがみんな歳をとっています。

今後は「老い」を見据えた物語になるのでしょうか。それとも育ってきた若者らの物語になるのでしょうか。

このあと、次々に出版されるだろう続編を楽しみにしたいと思います。

 

 

しかし、この『軍鶏侍シリーズ』も、『師弟 新・軍鶏侍』のだ第五巻『承継のとき 新・軍鶏侍』をもって完結したようです。

実に残念ですが、作者の筆は『めおと相談屋奮闘記』のような町人ものを描くことに向けられているようで、本シリーズのような武家もの、それもいわゆる痛快時代小説と分類される作品は執筆されていないように思えます。

出来ればまた本シリーズのような作品を紡ぎ出してもらいたいのですが、こればかりは読者の勝手な好みを言うだけですので仕方ありません。

とはいえ、続編を読みたいというのが正直な気持ちです。

 

また、SPコミックスから本シリーズのコミック版が出ていました。山本康人の画だそうですが、残念ながら私はこの作者を知りません。

本シリーズの雰囲気をどのくらい再現しているものか、一度読んでみたいものです。