成瀬は天下を取りにいく

成瀬は天下を取りにいく』とは

 

本書『成瀬は天下を取りにいく』は『成瀬は天下を取りにいくシリーズ』の第一弾で、2023年3月に新潮社からソフトカバーで刊行された連作の青春短編小説集です。

第39回坪田譲治文学賞を受賞し、また2024年本屋大賞の受賞作でもあるという高い評価を受けた作品ですが、個人的には今一つ乗り切れない作品でもありました。

 

成瀬は天下を取りにいく』の簡単なあらすじ

 

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」。各界から絶賛の声続々、いまだかつてない青春小説! 中2の夏休みの始まりに、幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出した。コロナ禍、閉店を控える西武大津店に毎日通い、中継に映るというのだが……。さらにはM-1に挑み、実験のため坊主頭にし、二百歳まで生きると堂々宣言。今日も全力で我が道を突き進む成瀬から、誰もが目を離せない! 話題沸騰、圧巻のデビュー作。(内容紹介(出版社より))

目次
ありがとう西武大津店 | 膳所から来ました | 階段は走らない | 線がつながる | レッツゴーミシガン | ときめき江州音頭

 

成瀬は天下を取りにいく』の感想

 

本書『成瀬は天下を取りにいく』は『成瀬は天下を取りにいくシリーズ』の第一弾となる連作の青春短編小説集です。

主人公成瀬あかりのキャラクターが突飛としか言えない行動に出るユニークな女子高校生という設定であって、その突飛な行動の成り行きに関心が集まる作品です。

ただ、本屋大賞を受賞するほどの高い評価を得ている、という点は個人的には同意しかねるものでした。

というのも、青春小説として見たとき、主人公の成瀬の成長の様子などが描かれているわけでもないため、何とも微妙な印象しかなかったのです。

 

しかしながら文章は非常に読みやすく、主人公の成瀬のキャラクター設定も個性的であり、分かりやすくもあるので多くの読者に好印象を持たれるであろうことも分かります。

また、青春小説としても、成瀬の行動やそれに伴う島崎などの友人や周囲の反応など、成瀬のその時点での若者としての姿を描いてあるとはいえるのです。

さらには実に個人的な理由ですが、物語の舞台が滋賀県の大津市という地方に限定されているのも好感が持てます。

というのも、わが熊本市にも梶尾真治という『黄泉がえり』などの熊本を舞台にし作品を発表されている作家さんがいるのでとても親しみを持てるのです。

 

本書での成瀬のユニークさは、十四歳の中学生である成瀬あかりが幼馴染の島崎みゆきに対してこの夏を西武に捧げようと思うと宣言する第一話の「ありがとう西武大津店」で直ぐに分かります。

そして、その宣言そのままに、成瀬は実際西部ライオンズのユニフォームを着て、コロナ禍のために閉店することになった地元にある「西武大津店」に毎日通い、ローカル番組の「ぐるりんワイド」の生中継に映り込むのです。

こうして主役である成瀬あかりのユニークさが描かれるのですが、その成瀬に付き合う友人の島崎みゆきもまた個性的です。

第二話の「膳所から来ました」では成瀬は「お笑いの頂点を目指」すと宣言してM-1グランプリ出場を宣言するのですが、そのために成瀬の相方として漫才コンビ「ゼゼカラ」を結成し、ともにネタ作りを始めるのです。

こうして個性あふれる二人の中学生の日常が面白おかしく綴られていきます。

 

ところが、第三話の「階段は走らない」になるとその意味がよく分かりません。突然に稲枝敬太というサラリーマンが登場してきますが、何故この人が登場してきたのかよく分かりません。

確かに、稲枝敬太の友人でありともに小学校時代の同窓会を企画した吉嶺マサルは成瀬たちの通学路に弁護士として事務所を構えていて、のちに「西武大津店」の閉店の日に「西武大津店」へ行くという接点はあります。

しかし、それでもなお、成瀬たちの人生との関係性がよく分からなかったのです。

その後の第四話「線がつながる」では大貫かえでという膳所高校に進学した成瀬の同級生の、そして第五話「レッツゴーミシガン」では他校の西浦航一郎にと視点が代わります。

最後の第六話「ときめき江州音頭」では、成瀬の視点になり成瀬を中心とした物語へと変化するのです。

こうして、それぞれの話はそれなりに本書全体の流れの中に適宜位置付けられますが、第三話だけはよく分かりませんでした。

 

全体を通して主人公の成瀬のユニークさが光り、成瀬を中心とした生徒たちの様子がローカル色豊かに、ユーモアに満ちた描き方で語られます。

こうして青春小説として成瀬を中心とした登場人物たちの学生生活の様子が語られていくのです。

確かに、成瀬という中学生はユニークであるし、その日々は活動的であって、彼女に引っ張られている島崎達もまた輝いて見えます。

ただ、本屋大賞を受賞するほどの感動、というかインパクトがあったかと言われれば、それほどではなかった、と言わざるを得ないのです。