令和元年の人生ゲーム

令和元年の人生ゲーム』とは

 

本書『令和元年の人生ゲーム』は、2024年2月に208頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された長編小説です。

ネットを見ると本書はかなり高い評価を受けていて、事実、第171回直木三十五賞(2024年上半期)候補作に選ばれています。

 

令和元年の人生ゲーム』の簡単なあらすじ

 

「まだ人生に、本気になってるんですか?」
この新人、平成の落ちこぼれか、令和の革命家かーー。

「クビにならない最低限の仕事をして、毎日定時で上がって、そうですね、皇居ランでもしたいと思ってます」

慶應の意識高いビジコンサークルで、
働き方改革中のキラキラメガベンチャーで、
「正義」に満ちたZ世代シェアハウスで、
クラフトビールが売りのコミュニティ型銭湯で……

”意識の高い”若者たちのなかにいて、ひとり「何もしない」沼田くん。
彼はなぜ、22歳にして窓際族を決め込んでいるのか?

2021年にTwitterに小説の投稿を始めて以降、瞬く間に「タワマン文学」旋風を巻き起こした麻布競馬場。
デビュー作『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』のスマッシュヒットを受けて、
麻布競馬場が第2作のテーマに選んだものは「Z世代の生き方」。

新社会人になるころには自分の可能性を知りすぎてしまった令和日本の「賢すぎる」若者たち。
そんな「Z世代のリアル」を、麻布競馬場は驚異の解像度で詳らかに。
20代からは「共感しすぎて悶絶した」の声があがる一方で、
部下への接し方に持ち悩みの尽きない方々からは「最強のZ世代の取扱説明書だ!」とも。
「あまりにリアル! あまりに面白い!」と、熱狂者続出中の問題作。(内容紹介(出版社より))

 

令和元年の人生ゲーム』の感想

 

本書『令和元年の人生ゲーム』は、第171回直木三十五賞(2024年上半期)の候補作に選ばれているほどに評価が高い作品です。

ただ、それなりに面白くは読んだものの私の感覚には少しはまらない作品でもありました。

 

作者の麻布競馬場というふざけた感じのするペンネームの印象から、この作品の内容もどこかふざけたコメディタッチの作品だと決めつけて読み始めたように思います。

ところが、実際読んでみるとその文章は非常に論理的で、その内容も青春の屈託をそのままに表現してある、実に真正面から若者の心象を表現した作品であって毒気を抜かれたような印象でした。

全体的に、いわゆる「Z世代」と呼ばれる若者たちの生態を描き、なお且つその実相を皮肉に笑い飛ばしている、と私には思える物語でした。

 

ただ問題は、今一つ作者の意図が読み取れない作品だったということです。

前述のように、個人的には「Z世代」の意識高い系の若者たちを笑い飛ばしている作品だと感じたのですが、どうもただそれアd家ではないようなのです。

というのも、作者はある箇所で「むしろどうすれば人が幸せになれるかっていう問いそのものが、実は2冊目(注:本書『令和元年の人生ゲーム』のこと)の執筆の原動力になったっていうのがあるなと思います。」と書いておられます( 日テレNEWS NNN カルチャー : 参照 )

でも、その「問い」の答えが何なのかまでは今のところ書いてありません。

作者の問題意識として「地方と都市の格差から生まれる“分断”、そして平成から令和へと移る中で変化してきた“価値観”。」という点を同じ個所で挙げておられるのがヒントになると思われます。

しかしながら、だからといって私にはその答えが見つからないことが問題なのです。

 

本書『令和元年の人生ゲーム』に登場する若者たちはそのほとんどがいわゆる意識高い系の若者であり、自分たちは世の中のことを深く考え、そして関与していると自認し、そのことを評価してもらうことを当たり前と思っている人達です。

全部で四編の連作ともいえる短編からなっていますが、各短編の主人公はその氏名が明らかではありません。第二話の主人公が女性であるため「私」とあるだけで他は全部「僕」というだけです。

そして、そ各話の主人公達は皆、自分の将来の方向性を決めかねているようです。

 

本書では「沼田綾太郎」という、人を見下したような態度の男が全体を通して登場してきます。

この男が曲者であり、慶應大学のビジネスコンテストを運営するサークル「イグナイト」内で、サークル代表の吉原に対してだけは若干態度が異なるのです。

この沼田の吉原に対する態度が沼田の行動の根底にあるような気もするのですが、この点もはっきりとは読み取れませんでした。

そしてもう一人の重要人物が、伝説の起業家みたいなおじさんの宇治田という人物です。

この人物はストーリー自体に直接にかかわるわけではありませんが、物語の背景にいて登場人物たちに何らかの影響を与え続けています。

 

こうした人物たちが慶應大学のビジコンサークル(第一話)、就活生に人気のメガベンチャー(第二話)、意識高い系の若者が集まるシェアハウス(第三話)、廃業を目の前にした老舗銭湯(第四話)を舞台にしてそれぞれに高い意識をもって活躍するのです。

ここで書評家の杉江松恋氏は、「ここでは語り手が帰属することになる集団は公的な性格が非常に薄い「考える会」である。作者はおそらく意図的にグラデーションをつけて、この変化を描いている。」と述べられています( Real Sound : 参照 )。

そこまでの計算があってのものかは私には分かりません。

ただ、自分としては、この作品を通して登場する沼田という青年の時間的な経過をも示しているのが各章冒頭の年代指示だということであって、集団というより沼田という個人の変化が描かれていると思っただけです。

先に述べたように、本書を通して登場してくる人物としては宇治田という人物もいますが、彼はただその存在が示唆されるだけです。

その上で、結局は本書『令和元年の人生ゲーム』の世界を普遍化することはできず、特殊な若者たちの特殊な世界を描いているだけとしか思えなかったのです。

そんな特殊な若者たちである「意識高い系の若者たち」を沼田という特異な人物の姿を通して描き出してあるし、その沼田の姿に作者の思惑が反映されている、と感じた次第です。

世評とは異なる印象ですが、読者の中にはそういう人間もいる、ということで収めるしかありません。

 

つまりは、結論めいたものを感じることはできず、読者個々人がじっくりと読み込んで本書の世界に浸ってみて感じてもらうしかない、というのが最終的な感想というしかありません。