『逃亡者は北へ向かう』とは
本書『逃亡者は北へ向かう』は、2025年2月に新潮社から384頁のハードカバーで刊行された、長編のクライムサスペンス小説です。
東日本大震災を背景にした犯罪者とその男を追う刑事の物語で、人間の生き方を問うヒューマンドラマでもあります。
『逃亡者は北へ向かう』の簡単なあらすじ
雪がちらつく3月の東北ー。震災直後に殺人を犯してしまった真柴亮。一通の手紙を手に北へ向かう途中、家族とはぐれた子供と出会う。一方、刑事の陣内康介は、津波で娘を失いながらも真柴を追うー。震災の混乱のなか、ふたつの殺人事件が起きた。逃亡する容疑者と追う刑事。ふたりはどこへ辿り着くのかー。(「BOOK」データベースより)
『逃亡者は北へ向かう』の感想
本書『逃亡者は北へ向かう』は、東日本大震災を背景にして一人の若者が犯罪者となり逃亡する姿と、彼を追う一人の刑事をとおして人間の生き方を考ええしまう作品になっています。
ストーリー自体は、普通に生きているなか、突然の理不尽な出来事から逃れようとしただけで犯罪を犯すことになってしまった一人の青年の物語であり、ありがちな流れだと思いつつ読み始めました。
真柴亮は、自分の連れが半グレ相手に起こした喧嘩に巻き込まれ、正社員になる話どころか仕事まで失い、最終的にはその半グレだけでなく、逃げる途中で誰何を受けた警察官まで殺す事態になってしまいます。
震災の直前に届いた父親からの手紙を読んで、父親のいる病院へ行こうと北を目指すのですが、途中、直人という名の子供を連れて移動することになるのでした。
一方、つき市東警察署刑事第一課に所属する陣内康介刑事は、震災により娘の麻利が行方不明になり妻の理代子から一緒に娘を探すようにとの連絡が来ていましたが、同僚が行方不明の家族を探す暇もなく仕事をしている姿を見て自分だけ抜けるわけにはいかないでいたのです。
また、漁師の村木圭祐は震災に際し、漁船を沖に避難させていましたが、帰ってみると身重の妻の朋子と息子の直人が行方不明になっていました。
本書『逃亡者は北へ向かう』は、真柴亮の逃亡劇を主軸に追いかけてはいるものの、その亮を追う陣内刑事と息子の直人を探す父親の村木の姿をもまた追いかけています。
そして、逃亡犯の真柴亮という男の、悪いほうへとしか転がらない人生もまた一つのテーマとして浮かび上がります。
でも、柚月裕子という作家の作品にしては大枠としてのストーリーの流れ自体はある程度定番というか、ありがちな設定といえると思います。
ただ、細かな人物の描写も含めて物語全体の流れとしてみると、作者の力量によりそれなりに読み応えのある作品として仕上がっています。
しかしながら、この作者の作品にしては、直人はなぜに真柴とともに旅をする気になったのかという点がはっきりとしていないのは残念でした。
ほとんど口をきこうとしない直人は、母親とはぐれた後にどうして亮にくっついて旅をする気になったのでしょうか。
直人の性格は「口が重かった」ということしか説明がなく、亮とともに行動を共にすることについての説明は少なくとも私は読み取ることができませんでした。
この点は、親とはぐれた直後の人見知りの激しい子ということから読者が読み取るべきと言われるかもしれませんがそれは無理筋だと思われます。
この作者の『孤狼の血シリーズ』や『佐方貞人シリーズ』などの読み応えのある作品群からすると、この頃のこの作者の作品は柚月裕子ならではという印象が少なくなっている気がします。
そういう意味では本書も柚月裕子でなくても書けた作品かもしれないという気はします。
とはいえ、村木が震災の現場で妻や息子を探したり、他の登場人物たちが震災に直面する場面では、現場を知るものならではの迫力があり、つらいものがあました。
作者自身が東日本大震災で両親を亡くされているそうで、実際に体験された当時の被災者や被災地の様子が背景になっているそうです。
大地震の現場を作者自らが訪れた作品として、砂原浩太朗の『冬と瓦礫』という作品があります。この作品は小説ではなく、阪神大震災の直後に郷里である神戸に帰った作家砂原浩太朗自身のレポート作品です。
作家がその力量を発揮して記したレポートであり、やはり現場を知るものならではの迫力に満ちていました。
いつもは情感豊かな風景描写をされる時代小説の作家さんですが、この時ばかりは別の人かと思う筆致でした、