『玉響(たまゆら)』とは
本書『玉響』は『別所龍玄シリーズ』の第五弾で、2025年7月に光文社から272頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。
主人公の首斬人若しくは介錯人という立場上、物語は斬首もしくは介錯される側の者の話に成りがちですが、その弱点をうまくかわした読みがいのある物語になっています。
『玉響(たまゆら)』の簡単なあらすじ
不浄な首斬人と蔑まれる生業を祖父、父から継いだ別所龍玄は、まだ若侍ながら恐ろしい使い手。親子三代のなかで一番の腕利きとなった彼は、武士が切腹するときの介添え役を依頼されるようになる。金貸し業で別所家を守ってきた母、静江、五つ年上の妻、百合子と幼子の娘、杏子。厳かに命と向き合い、慈愛に満ちた日々を家族と過ごす、若き介錯人の矜持。生と死のはざまで凛とした世界が大絶賛された「別所龍玄」シリーズ最新刊。(内容紹介(JPROより))
「一僕」
井之頭上水北側にある日無坂で、幕府大御番組大番衆の赤沢広太郎とその雇い人の元相撲取りの御嶽山が斬り殺される事件が起こった。しかし、その翌々日に北町奉行所に、井伊家下屋敷荷物方・島田正五郎に中間奉公していた松井文平と名乗る浪人者が出頭してきた。
「武士の面目」
門前名主の十兵衛は、材木石奉行配下手代の塚越家に婿入りをした三男の佐吉郎が不始末を犯したという話を聞かされてきた。武家になりたいという望みを持っていた佐吉郎に塚越家への入り婿の話があり、持参金とともに式をあげたのだが、そこには裏があった。
「黒髪」
上月利介率いる押し込みの一味四人が捕縛され、龍元の手によって首を討たれることになった。ただ、首打ちの前に上月利介が本条孝三郎と話をしたいと言っており、呼ばれて行った牢屋敷で本条孝三郎が聞いたのは、幼いころに捨てられた実の母親のことだった。
「許されざる者」
火付盗賊改当分御加役の糸賀団右衛門配下同心の渋山八五郎は、功を焦ったこともあり、無宿狩に引っかかった一人の若者を責問がすぎて誤って殺してしまう。ところが、その若者は、町火消の顔役で幕府にも顔の効く元御職の孫であり、町火消のめ組の頭を父親とする男だった。
『玉響(たまゆら)』の感想
本書『玉響(たまゆら)』は『介錯人別所龍玄シリーズ』の第五弾となる読み応えのある時代小説です。
本シリーズの魅力は、何度も書いてきていることですが、龍元というクールなキャラクターの魅力がまず挙げられます。
それと同時に、首切りという凄惨な場面に対する、妻の百合や娘の杏子、それに母親の静江、下女のお玉といった明るく幸せな家族の描写もまた魅力の要素になっていると思います。
龍元の家族の普通の佇まいが情感豊かに描かれることで、殺戮の場面などで切なさに満ちていた物語の全体が救われるのです。
第一話の「一僕」は、幕府大御番組大番衆の傍若無人な振る舞いと、中間奉公していた過去を捨てた元侍の敵討ちの話です。
善人の島田正五郎やその奥方、そして暗い過去のある松井文平、さらに島田が亡くなった後敵討ちを終えるまでの松井の行動などが人情味豊かに語られます。
理不尽な暴力とそれに対する正義の、しかし悲しみを伴った報復というある種のパターンでもある物語です。
この話の終わりは、松井文平が島田家をやめた後、敵討ちに至るまでの間に宿にしていたおはなさんの店での会話が心に残ります。
第二話の「武士の面目」では、侍の身分を金で買った町人の話です。
江戸時代に、金で侍の身分を買うという話は聞いたことがあります。それだけ侍も逼迫していたのでしょうし、逆に商人が金銭という力をつけていたことの証でもあるのでしょう。この物語は商人ではなく、町役人の話ではありますが、内情は変わりません。
ただ、個人的には侍の権威の低下や形骸化した武家社会で起きた理不尽な佐吉郎の話というよりは、江戸の町の私的自治のトリビア的な話のほうに魅力を感じてしまいました。
また、少しですが龍元の立ち廻りを見ることができるのもこの話の魅力でしょう。
また、ラストの龍玄と百合との会話で、百合が縫っているややの産着について、誰のややだと問う龍元に対し、「龍玄さんのですよ」と答える百合の言葉がありました。
第三話の「黒髪」は龍元ではなく、北町奉行所の同心本条孝三郎の物語になっています。
本条孝三郎は幼いころに母親に捨てられたという過去を持っていました。その本条孝三郎の前に現れた過去の話です。
人情噺としてはそれなりに読ませる話ではあるのですが、話としては龍元の物語とは関係のない話であり、この本に収納するには若干の無理を感じた話でもありました。
龍元が本条孝三郎の手代わりとして首を打つことが多いという間柄にすぎないのですが、そこに余人には知れない絆があるのかもしれません。
この話の終わりは、立ち去っていく孝三郎と龍元を隠れて見送る の店主の姿がありました。下谷三ノ輪町の梅林寺の梅ヶ小路の「たか」という茶屋の女将がたか枝だった。
第四話の「許されざる者」は、火付盗賊改当分御加役の配下同心の話です。
火付盗賊改当分御加役とは、火付盗賊改方本役のほかに、十月の冬から春までの半年間に限り、一名が火付盗賊改を任ぜられる加役のことだそうです。
その火付盗賊改当分御加役の配下同心の一人の強引な責め問いの結果亡くなった一人の若者が、町火消の有力者の家族とわかり、家族からの訴えにより切腹を命じられた武士がいました。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』で有名な火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が登場することがこの物語の魅力です。
同時に、武家の妻の呼称である「奥方」の由来でもある、この時代の「表と奥」の概念の説明などの豆知識もまた魅力となっています。
別所龍元の物語は、斬首される罪人若しくは切腹を行う侍という存在があって初めて意義があるというその性格上、罪を犯すに至る、若しくは切腹を行うに至る事情の話になりがちで、なかなか物語のパターンが限定されそうです。
そうした点から見ると、本書は龍元の立ち廻りはもちろんのこと、龍玄の親しくしている北町奉行所の同心の個人的な話など、作者が色々と工夫を凝らしておられるのがよくわかる作品集となっています。
そして、本書の最後は静江とお玉との会話で終わりますが、そこで静江が百合が身籠ったことが示唆されます。
その後描かれる、杏子をその胸に抱いた時に湧き上がってきた日常の幸せに対する喜びの表現は感動的ですらあります。
