『乱菊』とは
本書『乱菊』は『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第四弾で、2023年6月に268頁のハードカバーで刊行された、長編の時代小説です。
低いトーンで貫かれた本書は、まさに辻堂魁の作品であり、とても面白く読んだ作品でした。
『乱菊』の簡単なあらすじ
それは、きらめく銀色の刃が、凄惨な切腹場を果敢ない幻影に包みこみ、誰もが息を呑んで言葉を失くし、切腹場の一切の物音がかき消えた、厳かにすら感じられる一瞬だった。十八歳の春、首斬人としての生業を継いだ男の極致。(「BOOK」データベースより)
「領国大橋」
湯島四丁目で手習所を開いている深田匡という浪人は、妻の紀代が中間の幸兵衛を供に江戸へ出たまま帰らず、その女敵討のために出府してきていた。匡は、武家は家門を維持繁昌させ、家風を揚げ、家名を耀かせるために夫婦になるものだという考えだったが、妻は子を流してしまった妻を不束な嫁と知人に言う夫に対し心が途切れてしまうのだった。
「鉄火と傳役」
後添えの自分の子を跡継ぎとする考えに乗った旗本長尾家の主は、嫡男の京十郎を廃嫡しようとした。そのことを知った嫡男は一段と無頼の道に走り、ただ一人理解してくれていた自分の傅役の生野清順をも手にかけてしまう。その傅役から長男の介錯を頼まれていた龍玄は、ただその約束を果たすのだった。
「弥右衛門」
真崎新之助は三人の侍と喧嘩になり、惨殺されてしまう。新之助は「藤平」の抱えの弥右衛門と互いに好き合っていたため、弥右衛門はこの三人の侍を討ち果たしてしまう。弥右衛門は陰間を生業としてはいても武士としての矜持は失っておらず、もし侍として切腹が許されるのならば、一度見かけてからその姿に心打たれていた龍玄に介錯を願いたいと言うのだった。
「発頭人狩り」
天明の大飢饉に際して福山藩の一揆に参加した尾道の医師である田鍋玄庵は、白井道安と名を変え江戸に逃げて町医者として暮らしていたが、その逃亡を助けたのが龍玄の母親である静江の兄の徒衆である竹内好太郎だった。ところが、田鍋玄庵を追って福山藩の横目の三人が無縁坂の別所家を探っているという話を聞いた。
『乱菊』の感想
本書『乱菊』はシリーズも四作目となる作品集ですが、辻堂魁という作家の新たな人気シリーズとして定着していると言えるでしょう。
それほどに安定した面白さを持っていると言えると思います。
本『介錯人別所龍玄シリーズ』の魅力としては、主人公別所龍玄の魅力はもちろんのこと、龍玄自身の佇まいの物静かさを家族の存在が包みこみ、全体の暖かさを醸し出している点にもあると思います。
それは、龍玄の妻の百合の美しさの中にある芯の強さと、二人の間の娘杏子(あんず)の可愛らしさなどです。
それに龍玄の母親の静江の強さと、奉公人でありながらも家族の一員ともなっているお玉の暖かさなど、物語自体は悲惨なものが多いのですが、読者の心の安らぎをもたらしてくれています。
また、辻堂魁という作家の特徴でもあるとは思うのですが、特に本シリーズでは登場人物の服装やその場面、背景、それに登場人物の身分や家の家格などの描写が非常に緻密です。
もしかしたら緻密な描写は作者自身のこの頃の傾向なのかもしれませんが、本書では特に人物の服装の描き方がより細密な傾向が強く感じられます。
そうした衣装や身分の詳しい描写はこの物語の時代背景が江戸時代であることを読み手に明確に意識させることになります。
そして、別所龍玄という主人公が介錯人であり、刀剣鑑定を生業にしている存在であること、その時代背景があってこそ主人公の存在が際立ってくると言えるのでしょう。
ただ、それにしても緻密な描写に若干の過剰性を感じるのも事実で、もう少し抑えてもいいのではないかとも感じます。
また、作者の辻堂魁の作品では権力者による理不尽な仕打ちや無法者の暴力により悲惨な目に会わされる弱者の姿がよく描かれます。
一般の痛快時代小説では、そうした弱者の、強者に対する反撃の一端なりとも叶えるヒーローとして主人公が登場します。
しかし、この作者のほとんどの作品の場合、多くの痛快時代小説とは異なって弱者の危機に際しヒーローが現れるのではなく、すでに悲惨な立場に陥ってしまっている弱者を、せめて恨みの思いだけでも叶える正義の味方として主人公が登場するのです。
本書の場合も同様で、主人公は首打ち人であり、すでに罪人となった者若しくは切腹せざるを得なくなっている弱者の事後の魂の救済人としての龍玄が登場する場面がほとんどです。
第一話の「領国大橋」では、武士の面目を保つためにやむを得ず果たす意味しかなかった女敵討を為した浪人の姿が描かれます。
つまり、「女敵討」という武士の面目を保つ意味しかない制度に振り回される侍の姿が描かれているのです。
加えて、夫は普通に過ごしているつもりでそれが当たり前の毎日であるにしても、妻からしてみればまた違う意味を持つ日々だったということも示されています。
第二話の「鉄火と傳役」では、廃嫡されたとある旗本の嫡男の哀しみに満ちた姿が描かれています。
武家社会の跡継ぎ問題というよくある話ですが、それを傅役というクッションを挟むことで龍玄の立ち位置を見つけ、侍の虚しさを描き出しています。
第三話
侍社会のなかでの陰間という日陰の生き方をする、しかし侍としての矜持は失っていない男の物語です。
ただ、江戸時代は男色に対して現代ほどの忌避感はなく、それなりに寛容だったとも聞くため、本編は単に恋人を殺された侍の仇討ちとして読んでいいものかとも思えます( nippon.com : 参照 )。
第四話「発頭人狩り」は、とある藩の政争に巻き込まれたひとりの医師の物語です。
龍玄の母親の静江の兄の竹内好太郎の友人の医師の白井道安の物語であり、いわば龍元の身内の問題が描かれた作品です。
龍元の義理の伯父が絡んだ話であり、龍元の斬り合いの場面、剣の遣い手としての龍玄が描かれるという珍しい話でした。
介錯人別所龍元の話ではなく、龍玄の立ち廻りを見ることができる珍しい作品であり、この手の話をもっと読みたいという気もします。
第一話から第三話までは、侍として生きた男の、侍の社会に生き、そして侍の社会の定めに死んだ男、武家の内紛で廃嫡された男、陰間として生きていた侍たちの侍としての死が描かれています。
それに対し、第四話は、龍玄の伯父の知り合いの理不尽な死に際し、剣士としての龍玄の姿が描かれています。
龍玄は介錯人である以上、その剣は受け身であることは仕方のないことですが、たまにはこういう自分から抜く立ち廻りも読んでみたいと思います。
