『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』とは
本書『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』は『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第一弾で、2015年3月に宝島社文庫から刊行され、2023年3月に光文社文庫から304頁の文庫として出版された、短編の時代小説集です。
2023年3月から2023年6月までの四か月間に、すでに刊行済みだった三巻を含め、一気に四巻が光文社文庫から刊行されました。
その第一弾目の作品である本書は、2015年3月に宝島社文庫から『介錯人別所龍玄始末』として刊行されていた作品を改題し、光文社文庫から再文庫化された作品です。
『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』の簡単なあらすじ
牢屋敷の首打役を務める別所龍玄二十二歳。介錯人・別所一門の名を背負い、切腹する侍の介錯を頼まれることもある。小柄で物静かな姿は童子のようでありながら、その介錯を知る者の間では凄腕と囁かれる。斬る者と斬られる者、その一瞬に生まれる心の働きだけが、ただそこにあるー。不浄と呼ばれ、恐れられる首斬人の生き様と矜持。涙溢れるシリーズ第一作。(「BOOK」データベースより)
『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』について
本書『無縁坂 介錯人別所龍玄始末』は、『介錯人別所龍玄始末シリーズ』の第一弾の短編の時代小説集です。
ただひたすらに「斬られる者と斬る者」との間に交わされる心を感じるだけの龍玄の佇まいは求道者のそれのようであり、読む者もまた自然と姿勢が正されるようです。
静謐な雰囲気のなかに醸し出される首切りという凄惨で涙を誘う場面と、龍玄の彼の家族との暖かな語らいの場面との対比が際立つ作品です。
本書は、このシリーズの一弾目らしく「別所家」についての説明が詳しくなされていると同時に、「介錯人」の意義が説明してあります。
つまり、主人公である別所龍玄の人となりについての説明はもちろんのこと、妻の百合、娘の杏子、母親の静江、それに下女のお玉といった龍玄の家族の紹介が丁寧になされているのです。それだけ、龍玄の家族の存在がこの物語で重要性があるということでしょう。
また、龍玄の父親の勝吉、爺さまの弥五郎がすでに亡くなっていることが示され、また別所一門について言及されています。
つまり、爺さまの弥五郎はその出自について摂津高槻領の別所一門と称していただけだということ、その弥五郎の父親、すなわち龍玄の曾爺さまについては摂津高槻領永井家の家臣・別所某という以外、一切何も話そうとしなかったことだけ語られているのです。
そして本書では、少なくとも父勝吉は別所家が牢屋敷の首打人であることに負い目を感じていたらしい描き方をしてあり、さらには血筋正しい「侍」との差異を強調してあります。
ただ、当初は龍玄の爺さまである弥五郎は、龍玄の曾爺さまについては摂津高槻領永井家の家臣・別所某としか言っていなかったのですが、第四話「雨垂れ」で、別所家の過去が詳しく語られています。
龍玄は曾爺さまはもしかして出自は百姓ではなかったかとの疑いまでも持っていたのですが、そうした点もすべて明確になります。
「雨垂れ」で登場する侍たちは、自分たちは武門の誉れ高い血筋であり、問題の男は卑しき端女の子だから劣等な血筋の者だと蔑み、一族の裏切り者として腹を切らせようとするのでした。
しかし、別所一門の名を汚してはならないという一族の言葉は思わぬ悲劇を巻き起こすのです。
そこでのあるべき「侍」の姿は龍玄にも向けられることになります。そして「龍玄のほっそりとした体つきに童子の面影を残した風貌」に対し嘲笑をもって迎えるのです。
そしてまた、そうした差別の目は、本書では特に第二話「一期一会」でも、龍玄個人に対する「侍」からの差別の眼が強く感じられています。
そこでの血筋正しき侍は、「首打」は「人の上にたつ武門の正義と慈悲の心」をもってなすべきであり、「血筋正しき武門の切腹と介錯の場」を見て学ぶといいとまで言うのでした。
龍玄に対し、何故不浄な首打役になったのか、と問うたり、自分らのことを「由緒正しき武門」などと自称したり、侍のあるべき姿についての信念があるようです。
牢屋敷の首打役という不浄な役目という別所家に対する蔑視と、それに対する介錯人としての別所家であろうとする父勝吉の思いをしっかりと受け止めている龍元の心根のあり方がこのシリーズの根底を支えています。
そして、繰り返しますが、そうした差別の対象になっている思いは、首打ち、若しくは介錯の場面の持つ悲惨さをも含めて、百合を始めとする家族の存在で一気に解消されているのです。
文章や物語の背景は全く異なりますが、龍玄の佇まいは葉室麟の『蜩ノ記』に通じるものを感じてしまったほどです。シリーズが続くことを期待します。