幕末に京都を震え上がらせた新選組の隊士・沖田総司は、子どもと鬼ごっこをしていた。殺戮の場で、牙を剥いた悲愴な狼が、幼子のように無垢だった。人を斬った翌日は、血の臭いを振り払うために戯れるのだ。そこへ美しい娘が現れ、総司は魅入ってしまう。天然理心流の剣が何より大事であったが、胸は高鳴るばかり。が、労咳に冒された総司は、ただ、娘の額に口づけしかできなかった…。(「BOOK」データベースより)
剣士、剣戟を描いては当代一流の鳥羽亮の描く沖田総司ですから、かなりの期待を持って読みましたが、それが却って仇だったのか、この作者にしては平凡な出来としか思えませんでした。
沖田総司の物語と言えば、大内美予子の『沖田総司』をすぐに思い出し、比べてしまいます。現在の沖田像を作り上げたと言っても過言ではないこの大内作品を基準にすると、どうしてもハードルが上がるとともに、大内作品を一つの型として見てしまうのです。
それは別にしても、鳥羽亮という作家の作品として見ても沖田総司の物語としての独自性をあまり感じることができず、他の沖田総司を描いた作品と比して抜きんでるものを感じられませんでした。軽口をたたいてばかりで、子供と遊ぶ中で笑い声の絶えない人柄でありながら、労咳という病のゆえに人を愛することをためらう総司という人間像は同じであり、そしてそれ以上のものではないのです。
これが鳥羽亮と言う作家の作品でなければ、普通の面白い作品という感想で終わっていたのかもしれません。しかし、この作家はハードルを高くしてもそれを超える面白さがあるという期待を抱かせる作家であることも事実であり、読み手の勝手な期待ではありますが、更なる作品を期待するばかりです。
まことに残念な作品でした。