澤田 瞳子

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中央公論新社

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野太い喊声、弓箭の高鳴り、馬の嘶き…血の色の花咲く戦場に、なぜかくも心震わせる至誠の音が生まれるのか!己の音楽を究めんと、幻の師を追い京から東国へ下った寛朝。そこで彼は、荒ぶる地の化身のようなもののふに出会う。―「坂東のならず者」を誰より理解したのは、後の大僧正その人だった。謀叛人・平将門と、仁和寺の梵唄僧・寛朝。男たちの魂の咆哮が響き合う歴史雄篇。俊英が描く武士の世の胎動!(「BOOK」データベースより)

 

本書は、第161回直木三十五賞の候補作となった作品で、平将門の乱に題をとった長編の歴史小説です。

 

主人公は宇多天皇の孫にあたる寛朝(かんちょう)という平安時代中期の真言宗の僧です。

この寛朝は真言宗では初の大僧正になられたという実在の人物で、声明の第一人者でもあり、また「成田のお不動さま」で有名な真言宗智山派大本山成田山新勝寺の開祖でもあります。

このあたりの詳しいことは「大本山成田山新勝寺」の公式サイトに詳しい説明が載っているので、そちらを参照してください。

またこのサイトでは、「声明」の意味について「仏典に節をつけて唱え、儀式に用いられる伝統音楽です。」との説明がありました。

 

ともあれ、本書の物語は声明を得意とする寛朝が、豊原是緒(とよはらのこれお)という《至誠の声》の持ち主に弟子入りしようと坂東の地まで追いかけていくところから始まります。

その坂東の地で出会ったのが平将門でした。将門は磊落な男であり、頼られればこれを受け入れ、最後まで面倒を見るという漢気にあふれた人物で、寛朝もどこか惹かれていくのです。

史実では、宇多天皇の孫である寛朝は将門討伐のための護摩祈願を行っていますが、本書では梵唄僧の側面を重視しして描かれ、将門討伐の戦いに巻き込まれ、その一部始終を見る立場として描かれています。

ここで「梵唄(ぼんばい)」とは、前記の「声明」と同じ意味だそうです( ウィキペディア : 参照 )。

 

寛朝や将門の他の重要な登場人物として、寛朝の従僕として共に坂東に下った千歳という人物がいます。この人物がある野心を持っており、物語の途中から重要な役割を持って物語をかき乱します。

そして、寛朝らが坂東へ下る原因となった豊原是緒は坂東の地では心慶と名乗っており、傀儡女らの楽器を直したり、教えたりしていました。

この傀儡女の中に盲目のあこやという女がいて、そこに将門を憎しみぬいている同じく傀儡女の如意という気の強い女が加わり物語を複雑にしていきます。

一方、平将門は前述のように豪放磊落で、人望豊かな男として描いてあります。そこに藤原玄明らが助けを求めて駆け込み、これを拒絶できない将門は「将門の義」を貫き、反乱軍の大将として中央政府から睨まれるようになっていくのです( 5分でわかる平将門の乱! : 参照 )。

 

平将門という人物については、海音寺潮五郎の『平将門』(新潮文庫 全三巻)という作品があります。この作品を読んだのは三十年以上も前になるのでその内容は覚えてはいません。ただ、正統派の歴史小説であり、かなり読み応えがあった記憶はあります。

 

 

本書は、こうした正統派の歴史小説と言うよりは、寛朝という梵唄僧を通して京の雅さを坂東に持ち込み、情感をもって将門を描き出そうとしているようです。

つまり“声明”という音楽や《至誠の声》などという芸術的な概念をもって暴力に満ち溢れる坂東を表現しようとしているようで、今一つ私の心には響きませんでした。

 

戦いの場に臨み、音楽とは「すなわち天地秩序の表れ」であり、「この世の調和そのもの」だという寛朝は、将門の戦の中に《至誠の声》を見出します。

そして、終わりに近い戦いの場で、すべての音に声に御仏の存在を見ることができると感じるのです。己の声を在るがままに受け止めることこそが、楽を極めるたった一つの手立てだった、という寛朝は心慶に心から感謝します。

その寛朝の思いを描きたかったとすれば、そこに将門の存在はどのような意味を持つのでしょう。そこがよくわからないのです。

 

音楽を表現した小説という側面で言えば、例えば、2017年に直木三十五賞と本屋大賞を受賞した 恩田陸の『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫 全二巻)で描写されたクラシック音楽そのもののような、紙上に再現される声明という感覚はありませんでした。

それは描こうとする対象が異なるのですから当然と言えば当然ではあるのでしょう。

 

 

また、寛朝の存在にしても、《至誠の声》を求めようとするその心情は理解できるのですが、その先の将門と寛朝との交流がよくわかりませんでした。言ってみれば音楽家としての寛朝が、武者である将門を外から眺めている、としか思えなかったのです。

何にしても、暴力が跋扈する坂東と声明との取り合わせが私の心に響きにくかったと思われ、『火定』での心地よさは今一つ感じ取ることはできませんでした。

 

 

[投稿日]2019年07月15日  [最終更新日]2019年7月15日
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