浅草御蔵前で、亡き先代伊勢亀に代わる札差の新筆頭行司がなかなか決まらない。父の跡を継いでの就任を固辞する伊勢亀の当代半右衛門の元に、不可解な企てとも取れる文が届き、幹次郎は危ぶむ。巨額の富と莫大な権力を手にする筆頭行司の座を巡り、長い秋雨にけぶる吉原の町にも陰謀が蠢き始め、狙われる西河岸の桜季、そしてついに―。大人気シリーズ第三弾。(「BOOK」データベースより)
「吉原裏同心抄」としてシリーズも新しくなっての第三弾となる痛快時代小説です。
麻のための“うすずみ庵”が完成し、新築祝いをする運びとなります。しかし、その祝いに正客の一人と考えている八代目伊勢亀半右衛門から、札差筆頭行司を受けよとの文が来ているとの相談を受けた幹次郎は、まずは文を認めた人物を調べようと桑原市松に頼むのでした。
翌日、津島道場へ行くと、赤井武右衛門という侍が道場の弟子たちを叩き伏せてしまいます。傳兵衛は札差筆頭行司の選出に関わり合いがあると考え、幹次郎はこの赤井の本名が開源総一郎ということを調べ出します。
一方、桜季の周りには不審な男たちを見るようになり、ある日桜季が誘拐され、金五百両の金を要求する文が届くのでした。
今回は、直接的には吉原自体のトラブルではなく、先代伊勢亀の死去に伴う出札差の新筆頭行司選にまつわる事件が描かれています。
また、サブストーリとして桜季の問題もあって、一つの事件として収斂していきます。ただ、これらの事件が吉原に敵対する一味と関連するものかどうかはよくわかりません。
とはいえ、本書はこのシリーズの中で一息ついてる話であるとは言えそうです。
本書では、珍しく著者自身の手による「あとがき」が付されています。
そこでは、現代の出版不況に触れたと、「現代から見た江戸世界」を描いてきた、と書かれています。
作者は、「吉原のことは全く知らない。吉原が例え『苦界』であったとしても、そこに生きてきた遊女たちの絶望や、悲哀に焦点を当てるより、『苦界』にわずかな楽しみを、救いを見出しながら生きていく『遊女たちの物語』を提供できればいい、と思っている」、と言われるのです。
こんな話、あるはずもないよな、と思いつつ一時楽しんでもらえれば作者としてこれ以上の幸せはない、とも書いておられます。
たしかに、本シリーズで描かれる遊女たちは、他の吉原を描いた作品で描き出される、遊女たちの減らない借金や性病ほかの病などといった現実の吉原の負の側面についてはあまり触れられてはいません。
作者としては、そうした悲哀には光を充てずに、そんな中でも生きていた遊女たちの物語を描いていると言われるのです。
そんな吉原の遊女の物語としては第137回直木賞を受賞した松井今朝子の『吉原手引草』という作品が、小説としても面白い作品です。吉原の負の側面を描き出しているかといえば、疑問はありますが、一読される価値ありだと思います。
本シリーズを神守幹次郎の物語としてみたとき、まだ先が見通せません。吉原と共に生きるしかない幹次郎夫婦と加門麻という女性の生き方が、今後どのように変転していくものか、楽しみにしていたいと思います。