正月。小籐次は望外川荘で新年の膳を囲んだほか、おりょうの実家に駿太郎も連れて挨拶に行き、さらには久慈屋でも祝い酒を頂戴するなど宴席続きだった。そんな中、昨年来、同行を求められている伊勢参りについて昌右衛門と相談したが、どうも昌右衛門の歯切れが悪い。なにか悩みか、心に秘めたものがあるようだ。
一方、年末年始に立て続けに掏摸を捕まえた駿太郎は、奉行所から褒美をもらうことになった。駿太郎とともに招かれた小籐次は、面倒ながらも町奉行と面会し、帆船の絵本と眼鏡を贈られた。
そんな折、小籐次は望外川荘で何者かに襲われた。小籐次は難なく撃退し、その刺客の腕を惜しんで手加減したが、刺客は口封じのため雇い主の矢に射抜かれて死んだ。しかも、その矢を見たおりょうが驚愕の声を発した。なんと、刺客の雇い主とはおりょうの実兄だったのだ。おりょうの兄は、なぜ小籐次を狙うのか。そしてその結末は――。(「BOOK」データベースより)
新・酔いどれ小籐次シリーズの第八弾です。
以下は簡単なあらすじです。
第一章 宴続き
文政八年(1825年)の年も明けた。俊太郎は初稽古に来た創玄一郎太や田淵代五郎とともに弘福寺の道場で稽古をしており、目覚めた小籐次もそこに現れ稽古をつけるのだった。
おりょうは、実家の北村家への年賀について、自分とは仲が悪い六歳年長の兄靖之丞が、小籐次や俊太郎に不快な思いをさせるのではと案じていいた。実際、翌二日に北村家を辞する際、靖之丞と入れ違いになった折、研ぎ屋風情の亭主を伴い、訪れてはならぬ、と言い放つのだった。
第二章 年始回り
久慈屋への年賀の折、話の出ていたお伊勢参りの同行は手代の国三だけでいいということになる。その後新兵衛長屋に寄り、お夕を連れて望外川荘へと帰った小籐次達だった。翌日、皆で浅草寺へ初詣に出かけた折り、またも晴れ着を切り、騒ぎを起こす掏摸を捕まえる俊太郎だった。、
第三章 新兵衛の風邪
初仕事に出た小籐次とお夕を待っていたのは、新兵衛が高熱を発し寝込んでいたことで、久慈屋では、昌右衛門が伊勢から帰ると隠居するという話も決まっていた。また小籐次には、俊太郎の働きに対する褒美のため奉行所へ来るようにとの連絡があった。
第四章 異国の眼鏡
後日、小籐次は俊太郎、おりょうと共に南町奉行筒井和泉守政憲のもとへと行く。和泉守は小籐次に異国性の眼鏡を渡すのだった。ところが、望外川荘へ帰った小籐次らを待っていたのは三人の浪人者だった。
第五章 夢か現か。
久慈屋で仕事をする小籐次のもとに、北村家からの呼び出しがあった。行ってみると北村瞬藍は呼んでないという。そのころ、おりょうも俊太郎を伴い板村家へと向かっていた。
このシリーズを読んでいてあらためて思うことは、このシリーズが小籐次の日常を描くことで成立している作品だということです。
例えばこの作者の『居眠り磐音江戸双紙シリーズ』の場合は、当初は市井の磐根の暮らしを描いていたのですが、そのうちに田沼意次という強大な権力者との闘いに身を置く磐根の姿が描かれるようになります。
このように、巨大な「悪」と戦う主人公という図式が痛快小説のシリーズ物としては作品を描きやすいでしょうし、読み手もパターン化された物語の流れに安心感を持てるようです。
しかし、本書の場合はそうではなく、小籐次の日常こそが物語の骨子になっています。小籐次に日常が面白いという珍しいキャラクターになっているのです。
もちろん、小籐次には幕府老中の青山忠裕のような権力側の大物や、また久慈屋のような大店の実力者がついていて、いざという時は彼らが助けてくれるという安心感もあります。
だからこそ、上記のあらすじも書いていいのではないかと、書いてもネタバレにはならないのではないかと思った次第です。
痛快小説の基本はきっちりと押さえたうえでの小籐次のキャラクターです。剣を取っては一藩を相手にしても引かないというその男気が、おりょうという想い人を得、江戸の民にも受け、そしてこのシリーズの読者にも受けていると思われます。