近ごろ、小籐次が研ぎ仕事をしていると、その姿に手を合わせ念仏を唱え柏手を打つ者、さらには賽銭を投げる者が続出する。周囲は面白がるが、小籐次は店仕舞いを余儀なくされた。一方おりょうの芽柳派では、門弟の間で諍いが起き、おりょうを悩ませる。ふたつの騒動は、誰が、何の目的で企てたものなのか。シリーズ第2弾!
新・酔いどれ小籐次シリーズ第二巻となる長編の痛快時代小説です。
何故か理由も分からないままに、小籐次をひたすらに拝むとご利益があるとの噂が立ち、小籐次の仕事場所には、小藤次を拝もうとする参拝客が列をなすのでした。そして、そのさい銭の額も相当な額に上るようになったのです。
こうした事態はお城でも関心を呼び、小藤次本人にも累が及びかねない状況になっていたのですが、その裏で動き回る影があり、それは余波は駿太郎にも及んだのでした。
一方、おりょうの歌会では門弟の間でいさかいが起き、門弟数が減る事態になっていました。
本シリーズが新しくなり、前巻では「江戸の知られざる異界をテーマ」にするなどという、よく分からないことを言われていたのですが、両シリーズの間に数年が経過していただけであって、従来とほとんどその内容は変わっていませんでした。
第二巻である本書でも同様で、単に出版社が変わったというだけで何の影響も無い、筋の運びようです。
ただ、時間が経過している分だけ駿太郎が成長し、物語の中での重要な位置を占めるようになってきているのです。
小藤次とおりょうの仲も変化はなく、ただ、駿太郎の本当の父親は小藤次により返り討ちにあっているという事実だけが気にかかります。
佐伯泰英作品の中では私が一番好きな本シリーズですが、新らしくなってもそれほど内容に変化はありません。それがいいことなのか、悪いことなのか分かりませんが、今は単純に喜びながら、続刊を待ちたいと思います。