『小説』とは
本書『小説』は、2024年11月に講談社から224頁のハードカバーで刊行され、2025年本屋大賞第3位となった長編の現代小説です。
ファンタジー性の強い物語へと変容していく不思議な作品であり、論理展開に少々ついていきにくいところもある作品でした。
以下に関しては、少しだけネタバレ的な書き方をしてありますのでご注意を。
『小説』の簡単なあらすじ
読むだけじゃ駄目なのか。五歳で読んだ『走れメロス』をきっかけに、内海集司の人生は小説にささげられることになった。一二歳になると、内海集司は小説の魅力を共有できる生涯の友・外崎真と出会い、二人は小説家が住んでいるというモジャ屋敷に潜り込む。そこでは好きなだけ本を読んでいても怒られることはなく、小説家・髭先生は二人の小説世界をさらに豊かにしていく。しかし、その屋敷にはある秘密があった。それでも小説を読む。小説を読む。読む。宇宙のすべてが小説に集まる。(「BOOK」データベースより)
『小説』について
本書『小説』は、2025年本屋大賞第3位となった「小説」とは何かを追求した長編の現代小説です。
作品の前半ではミステリアスでSFチックな展開でしたが、後半になるとよりファンタジックな物語へと変じていく不思議な作品で、ただ論理展開に少々ついていきにくいところもある作品でした。
「小説とは何か」をテーマとしている本作品ですが、その展開は繰り返しますが私には若干分かりにくい物語でした。
本書ではこのテーマ追及のために内海集司と外崎真という二人の少年を中心に、彼らの通う小学校の隣にあるモジャ屋敷と呼ばれている屋敷に住む小説家の髭先生が彼らの指導者的立場の存在として設定されています。
内海は小説を読むことで父親の喜ぶ顔が見れるのでどんどん難しい作品にのめりこんでいく反面、仲間からは孤立していきます。
そんな時に内海に声をかけてきたのが外崎真でした。内海がその時に読んでいた司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の第一巻を外崎に貸したことをきっかけに、外崎も内海の住む本の世界に共に住むことになったのです。
ただ、頭脳明晰な内海に比べ外崎はそれほどでもなく、ただ内海のいう作品をひたすらに読むことになります。
ともあれ、この二人が髭先生と知り合い、小説の持つ魅力にさらに深く接するようになっていく様子が本書では記されています。
二人が高校生の頃に外崎が留年の危機に陥り、留年回避のためには小論文コンテストで結果を残せば可能性はあるだろうということで、今まで小説を読んできた2人が初めて文章を書くということに挑戦するのです。
内海と外崎が髭先生と知り合ったモジャ屋敷自体が不思議な地下室があり、そこにはよくわからない原稿や、何者かわからない少女がいたりして謎のままに物語は進みます。
そもそも髭先生という存在が本名も、ペンネームも、小説家としての作品すらも明らかにされていません。
それも、正体不明のモジャ屋敷と髭先生という、少しだけミステリー的な手法を加味したSF小説のニュアンスが加味されているのです。
こうして本書は前半はともかく、後半になるにつれ私が好むファンタジックな、というよりはSF小説的でミステリアスな展開になっていきます。
さらに言えば、本書では小説の本質を説き起こすために、わたしたちの宇宙の成り立ちから始め、生命の存在や意味論的な議論まで加わっていきます。
その途中には、太宰治の『走れメロス』から始まり、トールキンの『指輪物語』(評論社文庫 全七巻)などの様々な小説が取り上げられていて、イェイツへと至るのです。
この展開自体は興味あるものであり、それなりに置いて行かれずにに読み進めることはできていました。
ただ、私が読んだことがないイェイツは別として、結局はトールキンなども含めケルト神話へとつながっていく点が今一つ理解できませんでした。
というのも、物語としてケルト神話へとつながっていく展開はまさに好みの物語なのですが、本書のように「小説とは何か」というテーマを掲げたうえでの展開となると理解が追い付いていかないのです。
「小説」が虚構であることをその本質として結論付けている点はわかります。
しかしながら、その結論を導くために「内」と「外」との峻別というロジックを持ち出し、理由づけていく過程でいつしかついていけなくなっていました。
でも、内側の中身を増やすためには取り込んだ材料以上のものは増やせないという考え方からの「嘘」へと展開する点は実に面白く読みました。
さらに、ケルト神話へとつながっていく物語の流れは自体はまさに好みの物語でもあり、複雑な印象を持った作品でした。
ちなみに、先に述べた「内と外」の観点について、内海と外崎という中心人物二人の名前との関連を指摘しているサイトを見つけました。
確かにそうで、その点について気づかなかった自分の迂闊さを思い知らされました。
