大籬・舞鶴屋に売られてきた、容貌も気性もまったく違う、ふたりの少女。幼い頃から互いを意識し、妓楼を二分するほど激しく競り合いながら成長していく。多くの者が病に斃れ、あるいは自害、心中する廓。生きて出ることさえ難しいと言われる苦界で大輪の花を咲かせ、幸せを掴むのはどちらか。四季風俗を織り込んだ、絢爛たる吉原絵巻!(「BOOK」データベースより)
松井今朝子の『吉原手引草』に続く吉原ものの連作の短編集というより、長編時代小説といえます。
『吉原手引草』が吉原に暮らす多くの人への聞き取り形式だったのに対し、本作『吉原十二月』は、大籬の楼主、四代目舞鶴屋庄右衛門が、月ごとのひとり語りという形態をとっています。
吉原案内の上級編と言ったところでしょうか。
『吉原手引草』でもそうでしたが、語り口のうまさに引き込まれます。
今回は吉原大籬の主、四代目舞鶴屋庄右衛門の語りですが、この語りが見事です。絢爛豪華という吉原の印象をそのままに、花魁たちの成長が軽快に語られてゆきます。
月ごとに季節にあった場面が展開していきます。
まず正月は、容貌も気性もまったく違う「あかね」と「みどり」という物語の中心となる禿二人と庄右衛門とのかかわりが紹介されます。
次いで二月(如月)には、十六歳となった「あかね」と「みどり」が、それぞれに「初桜(はつはな)」と「初菊(はつぎく)」という新造名を得て振袖新造となり、その後「小夜衣(さよぎぬ)」と「胡蝶」という花魁となる次第が、初午に絡めて描かれています。
そして、三月、四月とその月の行事に合わせて続いていくのです。
「禿(かむろ)」とは遊郭に住み込む幼女のことで、高級女郎の身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学ぶのだといいます。
禿がある年齢(十五歳位)になると遊女見習いの後期段階になり「新造」となります。この「新造」にも「振袖新造」「留袖新造」「番頭新造」などがあるそうです。
「花魁」というのは最高に位の高い遊女のことを言います。以上のことは吉原遊郭についてのことで、京の島原遊郭などではまた若干異なります。
ここらのことは「吉原雀」や「意外と知られていない吉原の実態 – マイナビウーマン」というサイトに詳しく説明してあります。
月が変わるごとに章が変わり、庄右衛門の口から二人の女郎の成長の様子が語られていくのですが、その語りが実に小気味いいのです。
『天切り松-闇がたりシリーズ』の浅田次郎という作家の台詞回しが歌舞伎の河竹黙阿弥の台詞回しに通じていて粋で見事と言われていますが、松井今朝子の語りも、黙阿弥とは言いませんが、同じような小気味よさがあります。
共に江戸弁を使いこなしているところから来ているのかもしれません。
加えて、松井今朝子という作家の知識量の膨大さが印象的です。読んでいて、提示される情報の多さに圧倒されるところがあります。
それでもなお、示される新たな事実に驚嘆しながらも、繰り広げられる吉原という別世界の豪華さに惹きつけられ、酔うのです。
ただ、エンターテインメント小説としてみるとき、派手な展開があるわけでもない本書は、読み手によっては若干間延びする印象をもつかもしれません。
でも、二人の禿たちの成長を追い、吉原のしきたりや花魁たちの日常などに触れることはまた新たな喜びをもたらしてくれると思います。そして、やはりこの作家らしく最後にちょっとした仕掛けまで用意されているのです。
多くの作品を出されているこの作家はしばらく追いかけたい作家でもあります。