本書『トリニティ』は、昭和の経済成長期を中心に、ある雑誌を舞台に展開される三人の女性の生き方を描き出した、第161回直木賞の候補作となった長編小説です。
私の好みとする作品ではありません。しかし何故か引き込まれて読んだ作品でした
50年前、出版社で出会った三人が人生を賭けて求めたものとは―昭和・平成から未来へと繋ぐ希望を描き切る。(「BOOK」データベースより)
現代に生きるある女性によるインタビューへの回答という形を通して過去を語り、三人の女性の三様の生きざまを描いてあります。
背景となる昭和史は私個人の歴史との重なる部分もあり、取り込まれて一気に読んでしまいました。
本作品の構成は、第158回直木賞の候補作品となった伊吹有喜の『彼方の友へ』と似たものを感じました。
両方の作品共にある雑誌を舞台に、文化面から見た昭和史を背景としながら、出版の世界に身を置いた女性の生き方を、老境にいる女性の回想という形式で生き生きと描き出した作品です。
ただ、『彼方の友へ』のほうが時代が少し前であり、主人公の佐倉波津子個人の物語というよりは当時の出版文化を守ろうとした編集者たちの物語と言えそうです。
そして何よりも『彼方の友へ』のほうがノスタルジックであり、より情緒的です。
それに対し、本書『トリニティ』は時代が戦後の経済成長期がメインで、タイトルからも分かるように三人の女性の物語です。
そして、出版文化というよりはウーマンリブ運動を背景とした新しい女性を中心に、普通の生活者の目線も取り入れて個々の女性の生き方を描いてあることなどが違いとして挙げることができるかと思います。
そしてまた『トリニティ』の時代背景が私個人の青春時代に重なることは大きいものがありました。特にどのレビューを見ても一番の印象的な場面として挙げてある1968年の新宿騒乱事件は私が高校生だったこともあり、印象に残っている事件です。
というのも、その後の東大紛争や神田カルチェラタンなどの事件をあげるまでもなく、当時の世相の余韻が私の学生時代にもまだ残っていたのです。
話を本書に戻すと、巻末に挙げられている参考文献を見るまでもなく、読んでいる途中から本書のモデルは「平凡パンチ」だろうと思いながら読みました。
でも、レビューの中でどなたかが書いておられましたが、モデルが誰で、舞台はどの雑誌かなどということはほとんど意味がないと思われます。モデルがいたとしても本書に描かれている事柄は作者の創作が殆どだろうと思われるからです。
本書『トリニティ』の主人公の三人は、女性のフリーライターの先駆けともいえる佐竹登紀子、イラストレーターの早川朔こと藤田妙子、生活者の道を選んだ宮野鈴子の三人です。
母娘三代にわたって文章で生活してきた登紀子は時代の先端を生きる女性です。自分が稼ぐことで生活力のない、しかし夢を追い続ける夫を食べさせることに生きがいを感じています。
一方、幼いころに母親に捨てられた経験を持つ妙子は若くしてイラストレーターの才能を見出され、とある雑誌の表紙を飾ることになり、時代の寵児となります。
妙子が高校になるときに再び現れた母親の苦労のおかげで大学まで行かせてもらった妙子は、子育てまで母親任せになるほどの売れっ子として生きています。
また、高卒で事務員として雇われた鈴子は、登紀子や妙子をあこがれの対象としては見るものの、早くに結婚して家庭に入ることを夢見る娘でした。
そして、本書の狂言回し的な立場にいて、登紀子から回想を引き出す役目を担っているのが鈴子の孫の奈帆です。
この奈帆が三人の過去を改めて掘り起こし、鬱病を発症するほどに追い込まれた自分を取り戻して、三人の生き方から新たな生き方を見つけていく姿もまた一編の物語となっています。
この三人が1968年の新宿騒乱事件の暴動の様子を見に行ったことが各々の生き方の一つのきっかけとなるという、先述した場面は圧巻です。
この数年後の新宿西口のフォークゲリラの場面がその後に出てきますが、学生になった私はその残滓の残る西口に行ったことを覚えています。
雑誌を全く読まない私です。ましてや流行のファッションやアクセサリーなど全く関心がありません。ですから本書の舞台に関してはほとんど分かりません。
しかしながら大橋歩というイラストレーターの作品が表紙を飾る「平凡パンチ」やもう一つの人気雑誌だった「週刊プレイボーイ」などはどうしても目に入ったものです。
本書『トリニティ』は三人の女性を描くことで女性の生き方を見つめるとともに、戦後の女性の地位の変化をも描き出しています。
そこにはウーマンリブ運動から、独立した自我を確立していく現代女性への系譜の姿がありました。
しかしながら、そうした女性たちを家庭に入った生活人としての鈴子が現在では一番安定して暮らしており、その孫がキーマンとして三人の生き方を掘り起こしつつ、また新たな生き方を模索している姿は実に象徴的です。
けっして私の好みの作品だとは言えませんが、かなり引き込まれて読んだ作品でもありました。直木賞受賞こそなりませんでしたが、候補作としてふさわしい作品だったと感じます。