北方 謙三

イラスト1

黄昏のために』とは

 

本書『黄昏のために』は、2024年6月に256頁のハードカバーで文藝春秋から刊行された十八編の短編からなる小説集です。

ただ一人の画家の日常を描いているだけの作品ですが、まさに北方謙三の文章であり、ハードボイルド小説でした。

 

黄昏のために』の簡単なあらすじ

 

ハードボイルド小説から『三国志』、「大水滸」シリーズなど、その偉業は原稿用紙を重ねると3人分の背丈になる(本人談)という言わずもがなの巨匠・北方謙三さん。
昨年、超大作『チンギス紀』を完走されましたが、実は、歴史大長篇の傍らで「原稿用紙15枚ぴったり」の掌篇を書き継いでいました。

2017年の不定期連載開始から足掛け7年。
ついに一冊の本に結実しました。
タイトルは、『黄昏のために』。

***

画家である「私」は、今日も独り、絵を描いている。
モチーフは人形、薔薇、動物の頭骨、階段……
裸婦は描くが、風景画は描かない。
物は物らしく、あるべき姿を写し取る。
ふた月に一度アトリエに訪れる画商・吉野に絵を売り、腹が減ったら肉を焼いて食べる。
秋には山で枯れ葉を集め、色を採集する。
対象を見、手指を動かす。
自分がほんとうに描きたいものを見出すまでーー。

***

「誰もがいいと思うから、絵は売れるのだ。
 しかし、ほんとうは誰にもわからない。
 そんな絵が、描けないものか」
          –「穴の底」より

***

“究極の絵”を追い求める一人の画家の“生”を、
一つひとつ選び抜いた言葉で彫琢した、魂の小説集です。

孤高の中年画家が抱える苦悶と愉悦が行間から匂い立つ、濃密な十八篇がここに。(内容紹介(出版社より))

目次
声/パーティ/毒の色/穴の底/スクリーン/ナプキン/屑籠/赤い雲/血液の成分/開花/耳石/爪先/ふるえる針/時の鎖/この色/指さき/アローン/隠し味

 

黄昏のために』の感想

 

本書『黄昏のために』は、その客観的な文体やキザとしか言いようのない描写など、まさに北方謙三の作品です。

そして、一人の画家の日常を描いているだけの作品ですがハードボイルド以外の何物でもない作品なのです。

「原稿用紙15枚ぴったり」の短編十八編からなる作品集ですが、それは全体として一編の長編小説と言ってもいいかもしれません。

 

主人公は、還暦間近の画家であり、何とか無形の「死」を描くことを試みようとしていますが、なかなか思い通りの絵が描けないでいます。

彼のもとには吉野という画商がやってきて、定期的に彼の絵を持っていきます。

また、日々のことは家事代行業の女性にまかせて、アトリエだけは自分で掃除をするという生活をしています。

 

本書の主人公には名前がありません。主人公は「」であり、その住まいなど含めて具体的な地名などは出てきません。

ただ、友人などの個人の名前があるだけで、店の名前すらもほとんどありません。

あるのは、主人公の「私」の「画」を描く姿と、これは北方作品ではよくあることですが料理をする場面であり、それを食べる食事の場面です。

「画」を描く場面があるのは画家が主人公の作品ですから当然であるにしても、料理をする姿へのこだわりはあまり食に対する関心のない私には印象的です。

ハードボイルドと呼ばれる作品で「料理」や「食べる」場面が少なからず描かれているのは、それが生きることに直結する営みだからでしょうか。

 

本書『黄昏のために』は、そうした主人公の姿をただ淡々と描いているだけです。他に何もありません。暴力もアクションも何もないのです。

しかしながら、その絵を描くことに対する主人公の姿こそが本書の眼目であり、作者のいいたいことだと思います。

 

ひたすらに画家である主人公の日々を追いかけるだけですが、その主人公の生きざまが何故か読み手の心に迫ります。

北方作品はどれもそうだと言われればそれまでではありますが、北方作品に登場してくる人物のような生き方は普通の人間にはまずできないでしょう。

それだけある意味ストイックであり、自分に忠実と言えば忠実なのです。自分に課したこだわりを貫く、その姿が心を打ちます。主観を排した文体がさらに北方作品の方向性を確定しているようです。

 

原稿用紙十五枚という制限の中での文章を書くという作業は、言葉を厳密に削ぎ落す作業でもあると作者は言っています( zakzak : 参照 )。

文章に疎い私にはそうした作者の言葉があっても通常の北方作品の文章との違いをそれほど感じ取ることはできませんでした。

しかしながら、繰り出される原稿用紙十五枚分の短編を読み続ける中で、主人公の「私」の自由でありながらも「死」を表現しようとするその姿は、印象的でした。

 

北方謙三の画家を主人公にした作品と言えば『抱影』という作品を思い出しました。

この作品には「出来すぎではないか」と感じる人物の登場があったりして、若干の違和感を感じていたようです。

 

一方、北方謙三と芥川賞作家でもある東京大学名誉教授の松浦寿輝氏との対談の中で、松浦氏が「画家が主人公の北方さんの小説」として挙げていたのは『ブラディ・ドール シリーズ 』の四作目の『秋霜』であり、そのほぼ十年後に出された『冬の眠り』という作品です( 文春オンライン : 参照 )。

この二作品は現在六十七歳の著者がそれぞれに四十歳、五十歳の頃に書かれた作品です。


上記二作品の内容については昔のことでもあり、正直あまり覚えていません。

本書との差異を比べてみるのも面白いかもしれませんが、手元に書籍がないのでそれもできません。そのうちに借りてみるかもしれませんが、どうでしょう。

 

ともあれ、久しぶりに北方謙三節を楽しんだ作品でした。

[投稿日]2024年10月11日  [最終更新日]2024年10月11日

おすすめの小説

おすすめのハードボイルド小説

廃墟に乞う ( 佐々木譲 )
著者によると、矢作俊彦の小説にある「二村永爾シリーズ」にならって「プライベート・アイ(私立探偵)」小説を書こうと思い執筆した作品で、第142回直木賞を受賞しています。休職中の警官が、個人として様々な事件の裏を探ります。
飢えて狼 ( 志水辰夫 )
本作品も現代ハードボイルド小説の代表と言える作品でしょう。
テロリストのパラソル ( 藤原伊織 )
世に潜みつつアルコールに溺れる日々を送る主人公が自らの過去に立ち向かうその筋立てが、多分緻密に計算されたされたであろう伏線とせりふ回しとでテンポよく進みます。適度に緊張感を持って展開する物語は、会話の巧みさとも相まって読み手を飽きさせません。
探偵・畝原シリーズ ( 東 直己 )
札幌を舞台にしたハードボイルド小説です。探偵の畝原の地道な活躍を描き出しています。映画化もされた、ユーモラスなススキノ探偵シリーズの方が有名かもしれませんが、このシリーズも実に味わい深いものがあります。
矢能シリーズ ( 木内一裕 )
木内一裕著の『矢能シリーズ』は、元やくざの探偵矢能政男を主人公とする長編ハードボイルド小説です。矢能という男のキャラクターや、小気味のいい文体で読みやすいこともあって、私の好きなシリーズの一つになっています。

関連リンク

「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う - 文春オンライン
2024年6月10日に北方謙三さんの14年ぶりの現代小説『黄昏のために』が刊行されました。一人の画家の男を主人公にした掌篇集で、“究極の絵”を独り探求する画家の...
カズレーザー、北方謙三に痺れる!『黄昏のために』刊行記念対談「ハードボイルドの流儀」 - 文春オンライン
北方謙三さん14年ぶりの現代小説『黄昏のために』刊行を記念して、北方作品の愛読者であるカズレーザーさんとの対談が実現しました。「ハードボイルドの流儀」に肉迫する...
「簡単だよ。あなたの人生を書けばいい」と言葉をかけられ…40代の橘ケンチにとっての“北方謙三の世界観” - 文春オンライン
北方謙三さんとの出会いは6年前、『チンギス紀』の刊行記念トークショーにお声がけいただいた時に遡る。本を読むのは好きだったが、自分で書くことまでは想像していなかっ...
描くことは、生きること。一人の画家の〝生〟を描き出す魂の小説集
ハードボイルド小説から『三国志』、「大水滸」シリーズなど、その偉業は原稿用紙を重ねると3人分の背丈になる(本人談)という言わずもがなの巨匠・北方謙三さん。...
「もの作りに完成ない」 北方謙三「最後の短編」は14年ぶり現代小説「黄昏のために」
作家の北方謙三さん(76)の新刊『黄昏のために』は、画壇に属さない中年画家の男が酒色の日々を過ごしながら、ひたむきにキャンバスに向かい続ける姿を描いた14年ぶり...
北方謙三さん「黄昏のために」 原稿用紙15枚の連作、そぎ落とし「徹底的なハードボイルドに」 - 好書好日
大長編「チンギス紀」全17巻の執筆前後、北方謙三さんは掌編を書きためていた。1編わずか原稿用紙15枚。「長編でゆるんだ文体を引き締めるために書いた」という小説は...
6月23日(月)北方謙三『黄昏のために』 - WEB本の雑誌
週末介護23週目も無事終え、東武伊勢崎線武里駅から出社。介護ボケでぼんやりしていると京都新聞と上毛新聞の広告部の人たちがやってきてしばし雑談。昼、F出版社のHさ...
北方謙三氏『黄昏のために』インタビュー「その場面で選ぶべき1つしかない言葉を選ぶことが小説を書く行為の根源にある」
何だろう、この胸の奥がザワザワとする感覚は。北方謙三氏の14年ぶりのハードボイルド小説『黄昏のために』。主人公は50代も半ばの男性画家〈私〉。毎日をひたすら創作...
「黄昏のために」北方謙三著 - 日刊ゲンダイDIGITAL
画廊の主人、吉野雄一がやってきた。私は「一応、三点だよ」と絵を見せた。吉野が「あの人形の絵、いいね。人形が生きているよ」と言うので、「一応と言ったのは、あれを売...
黄昏のために - ダ・ヴィンチWeb
『三国志』や『大水滸』シリーズ。巨匠・北方謙三といえば、歴史小説、特に、長編のイメージが強い。ハードボイルドなタッチで描かれた男たちの戦いには、幾度となく、沸き...
孤高の中年画家が抱える苦悶と愉悦が行間から匂い立つ、濃密な十八篇がここに。北方謙三『黄昏のために』ほか - 本の話
ハードボイルド小説から『三国志』、「大水滸」シリーズなど、その偉業は原稿用紙を重ねると3人分の背丈になる(本人談)という言わずもがなの巨匠・北方謙三さん。...
親族3人が犠牲の挿絵画家・西のぼるさん - 東京新聞
歴史小説などで活躍する石川県珠洲(すず)市出身の挿絵画家、西のぼるさん(77)=中日文化賞受賞=が、能登の松林を描いたアクリル画や、北方謙三さんの小説「三国志」...
北方謙三「文体を整える」とは言葉選び 文章と戯れ、言葉に絡みつくこと 原稿用紙15枚に1作収めた18篇の連作短篇集を上梓
ハードボイルド小説で文壇に地歩を固め、のちに中国英雄譚に材をとった大長篇を次々に発表してきた北方謙三さんが、現代を舞台にした連作短篇集を上梓した。壮年の画家が主...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です