『楽園の楽園』とは
本書『楽園の楽園』は、2025年1月に中央公論新社から104頁のハードカバーで刊行された中編小説です。
SFというべきか、ファンタジーと言うべきか、それともそのどちらでもないのか分類しにくい、しかし物語としては面白い作品でした。
『楽園の楽園』の簡単なあらすじ
これはディストピア小説か、ユートピア小説か?大規模停電、強毒性ウィルスの蔓延、飛行機墜落事故などが立て続けに発生し、世界は急速に混乱に陥った。これらすべての原因は謎の人工知能『天軸』の暴走と考えられた。五十九彦、三瑚嬢、蝶八隗の選ばれし三人は、人工知能の開発者が描いたという巨大な樹の絵画『楽園』を手掛かりに、暴走する『天軸』の所在を探る。旅路の果てには、誰も想像できない結末が待ち受ける。壮大で、不思議で、だけど皮肉なアドベンチャー。(「BOOK」データベースより)
『楽園の楽園』の感想
本書『楽園の楽園』は、その長さが100頁強という短編とも中編とも言えそうな長さの、とても読みやすい物語です。
SFともファンタジーとも呼べる、分類はしにくいのですが物語としてはとても面白い作品でした。
人工知能「天軸」の暴走のため、種々のトラブルが発生して混乱が生じ、急速に末期的な状況へ向かっている世界が舞台の物語です。
人工知能の制作者である「先生」が「天軸」を探して旅立ちますが、行方不明となってしまいます。
その「先生」の居場所が偶然の重なりから見つかりますが、その場所は強毒性のウイルスの蔓延する感染地帯を抜けていかなければならないところでした。
そこで、「驚異的な免疫力」とそれぞれに特別な能力を持つ三人が選ばれ、「先生」と「天軸」のある場所へと向かうことになったのです。
本書『楽園の楽園』はつまりは寓意譚と言っていいのでしょう。どういう寓意かを書くことはネタバレになるのでここでは書きませんが、一筋縄ではいかない小説です。
ただ、伊坂幸太郎の作品らしく登場人物たちの会話のリズムはいいのですが、いつもの作品以上に重要な意味を持ってくるととは言えるでしょう。
本書の登場人物は、五十九彦(ごじゅうくひこ)、三瑚嬢(さんごじょう)、蝶八隗(ちょうはっかい)という三人組であり、問題の人工知能を開発した<先生>を探しに旅立ちます。
さらに、その人工知能の名前が天竺ならぬ<天軸>という名前です。
つまりは『西遊記』を下敷きにした作品だということですが、その意味は世界を救う旅だということにあるのでしょうか。
そんな『西遊記』の大まかな骨格だけを持った本書ですが、100頁にも満たない短さと、挿絵まで入った装丁はさらに読みやすさを加速しています。
しかしながら書かれている事柄は一筋縄ではいかない内容であり、単純に一読して理解できるとはいかないようです。
特に、重要なアイテムの一つとして使われているのが井伏鱒二の『山椒魚』という短編です。
具体的には、ラスト近くで『山椒魚』での蛙の言葉を引用して五十九彦の心象を表現してありますが、『山椒魚』自体を読んでいないので意味が分かりませんでした。
調べてみると、この蛙の言葉というのは「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」というものであり、本書の言葉を借りると、山椒魚に対しての「時間の経過や自然の営為に重ねられた日本的な融和・和解の姿
」の言葉なのだそうです。
そして、この言葉の意味について後に様々な考察が行われていたのだそうです( ウィキペディア : 参照 )。
また、本書『楽園の楽園』の構造についても私自身では読み取ることはできませんでした。
すなわち、本書は単純にはミステリー作家としての伊坂幸太郎が描くユートピア(?)小説だと思っていたのですが、じつは「因果関係の想像力が引き起こす悲喜劇を、物語ジャンルの中でも特に因果関係を重視するミステリーの枠組みを使って描き出」しているのだというのです。( The Sankei Shimbun : 参照 )
私は壮大な寓意譚だと思っていたのだけれど、伊坂幸太郎というミステリー作家の描く「本作の最大の驚きと挑戦
」だという書評家の吉田大助氏の言葉は私が全く抜け落ちていた見方でした。
本書『楽園の楽園』は、その短さもあって軽く、楽しく読めた作品でしたが、その抱える内容はかなりの長編を書けるものです。
簡単に読み飛ばすのも一つの読み方ではあるのでしょうが、そうではなく一行ごとの言葉の意味を考えていくというのもたまにはいい読書ではないでしょうか。
それだけのものを持った作品だと思います。