『ツミデミック』とは
本書『ツミデミック』は、2023年11月に光文社から276頁のハードカバーで刊行された全六話の短編の犯罪小説集です。
コロナ禍のもとで生きる人々の生活を描き、第171回直木三十五賞を受賞したとても評価の高い小説集です。
『ツミデミック』の簡単なあらすじ
大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。ある日、バイト中に話しかけてきた女は、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗った。過去の記憶と目の前の女の話に戸惑う優斗はー「違う羽の鳥」。調理師の職を失った恭一は、家に籠もりがち。ある日、小一の息子・隼が遊びから帰ってくると、聖徳太子の描かれた旧一万円札を持っていた。近隣に住む老人からもらったという。翌日、恭一は得意の澄まし汁を作って老人宅を訪れるとー「特別縁故者」。渦中の人間の有様を描き取った、心震える全6話。稀代のストーリーテラーが放つ、鮮烈なる犯罪小説集。(「BOOK」データベースより)
『ツミデミック』の感想
本書『ツミデミック』は全六話の短編で構成された犯罪小説集で、第171回直木三十五賞を受賞した作品集です。
どの作品も少しずつ視点が異なったひねりの効いた作品であって、物語展開の意外性も含めて惹き込まれて読んだ作品集でした。
作者の一穂ミチという人は、以前にも『スモールワールズ』や『光のとこにいてね』が直木賞の候補作品となっている実力のある作家さんです。
特に『スモールワールズ』は様々な家族の形が描かれている本書同様の六編の物語からなる短編集でした。
その一穂ミチが、コロナ禍での暮らしの中で犯された犯罪行為を描き出したのが本書です。
作者のコロナ禍に対する心理状況の差が物語にも反映し、当初の二作がダークな味になったので、その後から意識的に明るめの話にしたとネットに書いてありました。
パンデミックの収束に向かうにつれ、最後の「さざなみドライブ」という話も明るさを見える結末となっています。
「違う羽の鳥」 客引きのバイトをしている及川優斗の前に真っ赤なトレンチコートにコンパスみたいなハイヒールを履いた金髪の女が寄ってきた。その女は死んだはずの井上なぎさと名乗り、かつて話題になった「踏切ババア」の話をしてくるのだった。
この一穂ミチという作家の作品では、自分の価値観を子供に押し付ける母親がいて、子供はその母親の振る舞いに押しつぶされているという場面が多く、この井上なぎさという女の母親もそうです。
この物語は、ミステリーとしても結論を明確にはしていません。しかし、事実はどうなのかという余韻は優斗にもまた読者にも投げかけられたままで終わります。
「ロマンス」 百合は無理解な夫の雄大の行いに悩まされていたが、あるとき出会ったフードデリバリーサービス「ミーデリ」のイケメン配達員に出会うためにミーデリを利用するようになった。
結末はすっきりとはしないものですが、独り子育てに悩む主婦の一面を描き出した作品です。
「憐光」 主人公は松本唯という名の女性であり、既に亡くなった存在です。その霊である唯が、親友の登島つばさと高二の時の担任だった杉田先生と共に唯の家へと赴く話です。
実に哀しい話ではあるのですが、何故かそれほどに悲しさを感じませんでした。それは、この物語が主人公が霊として登場してきており、自分が死んだ理由を知らされていく話だからかもしれません。
また、この話でもまた自分の価値観を子供に押し付ける母親が登場し、その娘の生活自体がすでに悲しみに満ちているものであったからかもしれません。
ちなみに、この物語のタイトルが「燐光」ではなく「憐光」になっているのは、本書読了後にあるブログで指摘されていたのを見て気付いたもので、自分の読み方の粗さを教えられました。
「特別縁故者」 息子の隼(しゅん)がひょんなことから知り合った人物から聖徳太子が描かれた一万円札を貰ってきた。そこで主人公の卜部恭一は、何とかその人物に取り入ろうとするのだった。
これまでの三作品はどうにも救いのない物語だったのですが、この物語の終わりは爽やかです。怠惰な毎日を送る主人公が、次第に自分を取り戻していく過程は読みごたえがありました。
「祝福の歌」 達郎と妻の美津子との娘の菜花(なのか)はまだ高校生なのに妊娠しており絶対に産むと言ってきかない。また、お隣に引っ越してきた夫婦の妻が痩せてきているのを心配する達郎の母親だったが、その母親が階段から落ちた。
この物語が一番好きだったかもしれません。母親のあり方、母親と嫁との関係性、破天荒とも言えそうな娘の存在。そして、意外性をもって迎えるクライマックスでした。
「さざなみドライブ」 ツイッター上で、コロナ禍という「パンデミックに人生を壊された人」という条件のもと、それなりに名の通った俳優や看護師だった人など、年齢も職業もバラバラな五人が「自殺」を目的に集まった。
閉塞的なコロナ禍での生活の負の側面を一段と推し進めた物語です。でありながらも集まった人たちそれぞれの人生を少しの意外性をもって浮かび上がらせながら、驚きの終盤へと向かいます。
普遍的な物語を書こうとする作家の作品では時事性を取り入れるのは当たり前のことでしょうが、本書では特にコロナ禍という特殊な状況をもとに物語が描かれています。
先に述べたように、本書では家族、特に母と娘との関係を意識した作品が気になりますが、同時に、時代を反映した設定が目立ちます。
「承諾もなく不妊手術をされた」裁判の話や、ウクライナの話などがさりげなく取り込まれているのです。
特に、最後の「さざなみドライブ」はコロナ禍を正面から扱った「パンデミックに人生を壊された人」たちの物語です。
直木賞を受賞するのも納得の作品集であり、一気に読み終えてしまった物語でした。