下士上がりで執政に昇り詰めた桐谷主水。執政となり初登城した日から、忌まわしい事件が蒸し返され、人生は暗転する。己は友を見捨て出世した卑怯者なのか。自らの手で介錯した親友の息子が仇討ちに現れて窮地に陥る主水。事件の鍵となる不可解な落書の真相とは―武士の挫折と再生を切々と訴える傑作。(「BOOK」データベースより)
葉室麟らしい、侍の生き様を描く長編の時代小説です。
三十代も半ばの若さで藩の執政に登用されることになった桐谷主水は、かつて藩主親子を誹謗する内容の落書の筆跡を、友人であった芳村綱四郎のものと断定し、切腹させた過去を持っていた。
その後、芳村綱四郎の娘由布を妻とした主水だったが、由布の弟である喬四郎から仇打ちを果たすべく申し込まれる。
しかし時が経つにつれ、落書の筆跡は綱四郎であるとの主水の確信も、喬四郎が持っていた主水が綱四郎を陥れたとの密告書も、次第にその根拠を失いそうになるのだった。
葉室麟の他の作品でもストイックな主人公が描かれていますが、本書においても主人公の主水は、侍として自己に厳しく、友人を死に追いやった自分に疑問符を付きつけています。侍として嘘はつけず、筆跡を友人のものと断定したことは正しかったとしても、ひとりの人間として見た場合、他に取るべき方途は本当に無かったのか、自らの行いを問うているのです。
全ては、落書、密告書を書いたのは誰か、という謎に向かって話はすすみ、物語は20年前の夏に起きた「後世河原の騒動」に収れんされて行きます。
特に意識しないでも何となく犯人の見当はついてくることもあり、ミステリーとして良い出来なのかは分かりません。しかし、時代小説としては相当なものだと思います。
ただ、物語の流れは、落書の書き手は誰なのか、などの謎の解明に割かれていき、私の好みからは少々遠ざかっていきました。
侍としての桐谷主水の生き方をもう少し突き詰めて描いてほしい、と思ったのです。主水が、筆跡を綱四郎のものと断じた自らの行為についての心の葛藤をそれなりに描写してはありますが、半端になった感じがしました。
とはいえ、さすがの葉室麟作品です。読み応えがありました。