辻斬りで母を亡くし、上絵師の父も失意のうちに死んだ。律は、幼い弟のためにも、父の跡を継ぎ、布に家紋や絵を描く上絵師としての独り立ちを目指していた。そんな折、馴染みの同心が持ち込んだ似面絵に「私が描く方がまし」と口走り…。副業として請け始めた似面絵が、様々な事件を解決へと導いてゆく!恋に仕事に一途な女職人の活躍を描く新シリーズ。(「BOOK」データベースより)
上絵師 律の似面絵帖シリーズの第一巻目です。
律と慶太郎の姉弟の母親は五年前に辻斬りに遭い、命を落としており、父親もその後を追うように死んでいます。残された律はまだ幼い弟と共に必死で生きているのです。
本書では、母親を斬り捨てた犯人を常に心の片隅に置きながらも、似面絵を描くことで身近な事件ともいえない事柄の解決の糸口をつけ、自分の恋心を抑えつつ、上絵師としても次第に認められていく主人公の律の姿が描かれています。
シリーズものの物語として、律の成長譚としての話なのか、捕物帳としての側面が重視されるのか、それとも意外な方向に向くのか、どの方面に重点が置かれるのかまだはっきりとはしていないのですが、二十歳すぎの娘である律が持ちこまれる事件について探索する姿はないし、まずは涼太との恋模様を横糸としながらの、上絵師としての成長を描き出す物語だと思われます。
本書の登場人物としては、まずは律の弟の慶太郎がいて、「上絵師 律の似面絵帖 シリーズ」の頁でも書いたのですが、表店の葉茶屋青陽堂の涼太と香という幼なじみがいます。また、律の隣人である今井直之という人物が手習い指南所を開いています。律と涼太兄妹とはこの手習い所で一緒だったのです。
それに、律の仕事を厳しい目で見ながら仕事を回してくれる呉服屋池見屋の類、律の画に惚れこみ似面絵の仕事を回してくれる定周り同心である広瀬保次郎などの大人たちがいます。
律は、上絵師であった父親について上絵師としての仕事をしていましたが、まだまだ一人前とは言えず、上絵師としての独り立ちを目指しているのです。
女が一人、職人として腕を磨きつつ成長していく物語として、高田郁の『みをつくし料理帖シリーズ』がありますが、本書『落ちぬ椿』でも、似た歳の娘律が上絵師職人として一人立ちするために、まわりの人の善意に助けられながらも、必死に努力する姿が描かれています。
両作品共に作者が女性であるからか、女性らしい優しい目線で描かれ、主人公らの心象描写の場面でもゆったりとした時間が流れていて、読んでいてとても心地よい作品です。
同じ女性でもあさのあつこ の場合は少々違います。特に『弥勒シリーズ』では、登場人物の心象風景の描き方は闇が満ちています。よんでいて、人間の生きていく上での業の重さを感じさえするのです。
それとは全く異なり、本書の場合、目線は常に将来を見据えていて、生きることをいつも前向きに捉えている明るさと、力強さとがあります。それは『みをつくし料理帖シリーズ』でも同じであり、ある意味能天気に過ぎると言えるかもしれないほどの喜びに満ちているのです。