胸を匕首で刺された骸が発見された。北定町廻り同心の木暮信次郎が袖から見つけた一枚の紙、そこには小間物問屋遠野屋の女中頭の名が、そして、事件は意外な展開に…(「楓葉の客」)。表題作をはじめ闇を纒う同心・信次郎と刀を捨てた商人・清之介が織りなす魂を揺する物語。時代小説に新しい風を吹きこんだ『弥勒の月』『夜叉桜』に続くシリーズ第三巻、待望の文庫化。(「BOOK」データベースより)
「楓葉の客」
「おみつ」との文字が書かれた紙くずを袖に残し、修羅場をくぐってきていそうな男が殺された。一方、遠野屋では若い娘の万引き騒ぎが起きていた。
「海石榴の道」
遠野屋を中心とした若手の商売人たちの集まりも、前作で捕まった黒田屋もメンバーであったために休止を余儀なくされていた。この集まりを何とか再開しようとしていたが、今度は帯問屋の三郷屋の吉治が殺しの嫌疑を負ってしまう。
「宵に咲く花」
小料理屋「梅屋」を営む伊佐治の息子太助の嫁のおけいは、買い物の帰りに神社の境内でごろつきに襲われ、危ないところを清之介に助けられる。そのごろつきの一人は横網町にある大店の呉服屋である井月屋の息子だと名乗っていた。
「木練柿」
女中頭のおみつが血だらけになり帰ってきて、遠野屋の一人娘おこまがかどわかされたという。早速に連絡を受けた信次郎はお駒の行方を捜すのだった。
本書は「弥勒」シリーズの第三弾で、四編からなる短編集です。
遠野屋の女中頭おみつ、遠野屋の商売仲間の吉治、伊佐治の息子太助の嫁のおけい、遠野屋の養女であるおこまという一人娘。このシリーズの脇を飾る四人の登場人物に焦点を当て、その中で物語の背景に深みを持たせる構成になっています。
前作『夜叉桜』では清之介の過去にかなり迫りました。本作の「楓葉の客」では、家族の他に女中や手代といった雇い人らの清之介の今を支える人たち、とくにおみつという女中頭を中心に描くことで、清之介のまた別な人物像を描き出しています。
清之介の今を描くという点では次の「海石榴の道」もそうで、異業種の若手の商売人を集め、何か新たなことを始めようとする商売人としての清之介が描かれています。ただ、こういう場面では当然同心の信次郎が実際の探索を行うことになり、信次郎の型破りな側面もまた伺えます。
次の「宵に咲く花」はまた、少々雰囲気の変わった物語です。というのも、話が伊佐治の息子嫁の変な病い、と言っていいものか、夕顔の白い花をみると気を失うということに関するものなのです。しかしながら、その症状には嫁のおけいの過去に隠されたある秘密があったのです。
伊佐治の家族の心温まる物語として仕上がっている物語でした。
そして、本シリーズの冒頭ですぐにこの物語から退場してしまった清之介の妻であるおりんの物語に出会うのが、本書のタイトルにもなっている本書四編目の「木練柿」です。
この物語で清之介とおりんとの馴れ初めや、おりんの父親で遠野屋の先代吉之助と清之介との交流などが明かされます。この物語の発端が垣間見える、シリーズ上も大切な一遍です。
そして、そのことは、清之介と吉之助やおりんとの想い出を語るのが、おりんの母親おしのであることも意味があります。おりんの死で一時は精神の異常すら感じられたおしのでしたが、おこまという愛情を注ぐ新たな対象が出来たこともあり、また清之介に対する思いすらも少しずつ解消できてきたことを感じさせるのです。
なかなかに味のある短編集でした。