蝉しぐれ [TV版]

藤沢周平の原作を内野聖陽主演で映像化した時代劇。海坂藩の下級武士の子・牧文四郎と隣家の娘・ふくは、幼い頃に淡い恋を育む。しかし、過酷な運命が文四郎を翻弄し、ふくにも人生の転機が訪れる。そして藩には陰謀が渦巻いていた。全7話を収録。(「キネマ旬報社」データベースより)

蝉しぐれ [DVD]

『隠し剣 鬼の爪』の藤沢周平のベストセラーを、市川染五郎と木村佳乃を主演に迎えて映画化。東北の小さな藩を舞台に、青年剣士・文四郎が、藩主に見初められたために派閥抗争に巻き込まれた幼馴染みの女性を守るため、非情な運命に立ち向かっていく。(「キネマ旬報社」データベースより)

 

映像の美しさは言うまでもなく、とくに市川染五郎の牧文四郎と木村佳乃のふくとが物語の終盤に、それまでの思いのたけを静かに語りあう場面は、この映画を見てよかったと思わせられる名シーンでした。今でも心に残っている、美しい場面です。

今田耕司とふかわりょうとを起用した場面を除けば、かなり良い映画だと言えると思います。

蝉しぐれ

蝉しぐれ』とは

 

本書『蝉しぐれ』は1988年5月に刊行されて、2017年1月に上下二巻で586頁の新装版として文庫化された、長編の時代小説です。

 

蝉しぐれ』の簡単なあらすじ

 

「どうした?噛まれたか」「はい」文四郎はためらわずその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。無言で頭を下げ、小走りに家へ戻るふくー。海坂藩普組牧家の跡取り・文四郎は、15歳の初夏を迎えていた。淡い恋、友情、突然一家を襲う悲運と忍苦。苛烈な運命に翻弄されつつ成長してゆく少年藩士の姿を描いた、傑作長篇小説。(上巻: 「BOOK」データベースより)

不遇感を抱えながら、一心に剣の稽古にはげむ文四郎。18歳の秋、神社の奉納試合でついに興津新之丞を破り、思いがけない人物より秘剣を伝授される。前途に光が射しはじめるなか、妻をめとり城勤めに精をだす日々。そこへ江戸にいるお福さまの消息が届くー。時代を越えて読み継がれる、藤沢文学の金字塔。(下巻: 「BOOK」データベースより)

 

蝉しぐれ』の感想

 

本書『蝉しぐれ』は、もしかしたら藤沢周平作品の中では一番有名かもしれない、長編の時代小説です。

そして、それだけの面白さを持った作品であって、「藤沢文学の香り高い情景を余すところなく盛り込んだ名作」と言われるのも納得する物語でした。

 

主人公の牧文四郎と、その幼馴染のふくとの秘められた恋情を軸に、海坂藩の政変に巻き込まれていく二人やその周りの人々が情感豊かに描かれています。

藤沢周平の作品はどの作品も名作ぞろい、と言っても過言ではないと思うのですが、どれか一冊を挙げろと言われれば、私は本書を挙げるかもしれません。

それほどに惹き込まれ、また感動した作品でもありました。

 

ちなみに、本書『蝉しぐれ』は市川染五郎と木村佳乃とで映画化されて、2005年に一般公開されました。また、2003年にはNHKで連続ドラマ化もされています。

 

用心棒日月抄シリーズ

主人公は青江又八郎という浪人者であり、表題のとおり、又八郎の用心棒稼業の中で繰り広げられる日常を描いてある時代小説です。殆どは連作短編の形式をとっていますが、第三巻から十数年が経ったという設定の第四巻の「凶刃」だけは長編となっています。

藤沢周平が第69回直木賞を受賞した『暗殺の年輪』が発表されたのが1973年で、本シリーズの第一弾『用心棒日月抄』が「小説新潮」に連載されたのが1976年から1978年です。ということは、藤沢周平の初期の作品と位置付けられるのでしょう。

私が読んだ本シリーズの新潮文庫本版のあとがきや他の記述を読んでみると、藤沢周平の作品はどことなく暗い作風であったものが、本シリーズあたりから藤沢周平の特徴である豊かな抒情性とユーモアすらも漂わせる作風へと変化してきた、と書かれていました。

登場人物を見ると、主人公は、青江又八郎という浪人です。「月代がのび、衣服また少々垢じみて、浪人暮らしに幾分人体が悴れてきた感じだが、そういう又八郎を擦れ違う女が時どき振りかえる。」ような人物です。

 

又八郎は、家老の大富丹後の藩主壱岐守毒殺の話を聞き、許婚の父親の平沼喜左衛門に知らせます。しかし、逆に切りつけられ、これを返り討ちにしてしまい、脱藩する羽目になってしまいます。

そこで、江戸に出て浪人暮らしをすることになり、口入屋の相模屋を通して用心棒の仕事を請ける生活に入るのです。

 

主な登場人物として、細谷源太夫という用心棒仲間がいます。子が六人もいて、嫁そして自分と八人の食いぶちを稼がなければなりません。腕はたちますが酒と女にだらしのないところがあります。

そして、又八郎らに職を紹介する相模屋の主が吉蔵であり、こずるい一面も持ち合わせていますが、基本的に人情家です。

そして、二巻目以降の重要な登場人物として佐知という女性がいます。この女性は第一巻『用心棒日月抄』の終盤に又八郎の命を狙う女として登場するのですが、第二巻『孤剣 - 用心棒日月抄』からは逆に又八郎の重要な相方として活躍します。そして、又八郎の「江戸の妻に」と願うほどになるのです。

勿論、又八郎には苦労ばかりをかけている由亀という妻が故郷で又八郎の帰りを待っています。しかし、この物語は殆どの舞台が江戸であり、由亀が登場する場面はそれほどにはありません。それよりも江戸の又八郎であり、佐知なのです。

 

先に述べた本シリーズのユーモラスな側面は、相模屋の吉蔵と初めて出会う場面での「背が低く、狸に似た貌の男」という紹介の仕方からしてそうでしょうし、細谷源太夫というキャラクターの存在自体が滑稽味を前提としていると言えます。

 

物語の構成をみると、第一巻『用心棒日月抄』は、赤穂浪士の討ち入りを主軸に、その廻りを又八郎が走り廻っていると取れなくもありません。赤穂義士の物語を第三者として見た物語なのです。

しかし、第二巻『孤剣 - 用心棒日月抄』第三巻『刺客 - 用心棒日月抄』となると、又八郎が藩内の抗争に巻きこまれて再び江戸での浪人生活に戻るという体裁になっています。作者の単行本版「刺客」のあとがきにあるように、「第一巻だけで終わる予定だったもの」がシリーズ化されたものだからなのでしょう。

とはいえ、第一巻『用心棒日月抄』の終わりに、大富静馬という剣客や、佐知という女を登場させているところからして、続巻を前提としているとも読め、連載途中からは続編を構想されていたのではないでしょうか。

 

時代劇、それも用心棒ものといえば、鈴木英治の『口入屋用心棒シリーズ』があります。当初は主人公の湯瀬直之進と倉田佐之助との闘いが主軸だったのですが、途中から物語の雰囲気が変わりました。
 

 
また金子成人の『付添い屋・六平太シリーズ』もあります。付添屋とはいうものの実質は用心棒です。
 

 
他にも色々とありますが、やはり本『用心棒日月抄シリーズ』の面白さにはかなわないようです。作品の優劣ではなく個人の好みに帰着しますが、藤沢周平という作家のうまさ、面白さとどう違うのか、色々と考えましたが分かりませんでした。

武曲(むこく)

羽田融はヒップホップに夢中な北鎌倉学院高校二年生。矢田部研吾はアルコール依存症で失職、今は警備員をしながら同校剣道部のコーチを務める。友人に道場に引っ張られ、渋々竹刀を握った融の姿に、研吾は「殺人刀」の遣い手と懼れられた父・将造と同じ天性の剣士を見た。剣豪小説の新時代を切り拓いた傑作。

 

どこかで剣道をテーマにした青春小説、という解説を見ていたので、誉田哲也の「武士道シリーズ」のような青春小説の男子版という感覚で読み始めたところ、全く異なる物語でした。

 

 

北鎌倉学院高校に通いラップ命と公言する羽田融(はだとおる)は、剣道部の上級生とのトラブルから防具をつけて試合をすることとなります。その折に、剣道部のコーチの矢田部研吾からたまたま一本を取ってしまいます。矢田部は羽田融に剣の才能を見出し、剣道を続けさせることになるのです。

この物語はエンターテインメント小説ではありません。どちらかというとコーチの矢田部研吾という人間の苦悩を描きたかったのではないかと思うほどに、矢田部研吾の心の裡にこれでもかと迫っていきます。

矢田部研吾の父矢田部将造は剣を殺人の道具として捉えている人で、研吾との立ち会いの結果、植物人間となっています。

一方、そうした事情もあってか研吾はアル中になり、剣の達人でもある光邑禅師に助けられ、剣道部のコーチとしているのです。

 

こうした事情を抱える矢田部研吾の内面の描写は、鬼気迫るものがあります。藤沢周という作家の本質が出ているのでしょう。気楽な気持ちで読み始めると思惑違いになります。

また、光邑禅師の存在は、研吾や羽田融にとって重要な役割を果たしていて、この物語に一段と深みを加えているようです。

羽田融は剣の道にラップと同じように自分を表現する道を見出し、のめり込んでいきます。この羽田融を描いている面では青春小説的な側面もあるのですが、より内心に踏み込んだ描写が為されていて、コーチである研吾との交流の場面は凄まじいものがあります。

 

研吾は、羽田融の中にこの父と同じ「殺人剣」を見、更に深くかかわっていくのです。

本の紹介に「超純文学」という言葉を使ってありました。造語でしょうが、本書の特徴をよく捉えた紹介文だと思うようになりました。

単なるエンターテインメントではないこの物語は気楽に読める本ではありませんし、剣道をかじったことがあるという、剣道の入り口に立っただけの私には分かりにくい描写もありましたが、それでもなお奇妙に魅かれる本でもあります。

 

ちなみに『武曲II』という作品が書かれているようです。

主演・綾野剛で映画化! 青春武道小説、待望の第二弾! 恐るべき剣の才能を持つラップ少年の羽田融。 高校三年生の冬の陣。 恋と、受験と、さらなる剣の高みへ。 壮絶な果たし合いを経てさらに激しい運命が……。

という惹句があるようです。早めに読みたいものです。

 

 

蛇足ながら、本書『武曲(むこく)』が映画化されるという話をネットで見つけました。

どんな映画になるのでしょう。今から楽しみですが、本書の谷田部の苦悩などがどれだけ表現できるか、剣道の場面はどうなのか、等々若干の不安はありますね。

戦国自衛隊1549 [DVD]

戦国時代に戦車・ヘリと共にタイムスリップしてしまった自衛隊員vs武将・織田信長の戦いを描いたSF戦国アクション!陸上自衛隊の全面協力でリアリティとスケールを追求した作品。出演は江口洋介、鈴木京香、鹿賀丈史ほか。(「Oricon」データベースより)

 

この映画も1979年の半村良原作の映画版「戦国自衛隊」と比べてしまうのですが、かなりレベルダウンしていると言わざるを得ません。

「戦国自衛隊1549」の方がCGにもお金を数段かけている筈なのですが、こちらの方がちゃちに見えてしまいました。

見る側のCGに対する目が肥えているということもあるのかもしれませんが、原野の中に突然出てくる城など見れたものではなく、やはり作り方の問題だと思いました。残念ながら、おすすめとはいかない映画です。

戦国自衛隊1549

自衛隊演習場で、新兵器の実験中に暴走事故が発生。的場一佐率いる第三特別混成団が約460年前の戦国時代に飛ばされてしまう。一方、その影響と思われる虚数空間が日本各地に出現し、現代世界を侵食し始めた。的場たちを救出するため組織されたロメオ隊の一員として、救出作戦への参加を決めた元自衛官の鹿島は、タイムスリップで戦国時代へ飛ぶが、そこで待ち受けていたものとは!?圧倒的スケールで贈るSF戦国アクション。(「BOOK」データベースより)

 

自衛隊を中核に据えた歴史改変ものの長編SF小説です。

 

富士の演習場で行われていたとある実験中の事故のために、指揮官の的場一佐を始めとする全員や装備、資材等の実験エリア全体がタイムスリップしてしまい、その後の揺り戻しによって今度は逆にひとりの武士が現代に現れる。

数年後、富士近辺に「ホール」と呼ばれる全てのものを飲みこんでしまう空間が出現するが、それは的場達が過去にタイムスリップしたことによる歴史の改変に基づくものと推測された。

そこで、現代を救うために、過去の歴史の改変を戻すべく的場一佐達を救出する作戦が開始されるが、そこには、思いもかけない事態が待ち構えていた。

 

本作品は2005年に劇場公開された映画「戦国自衛隊1549」が、福井晴敏のプロットをもとに作成されたものであり、そのプロットをもとに出版された作品だと聞きました。

 

 

1971年に発表された半村良の『戦国自衛隊』の焼き直しとは言われていましたが、全くの別物と思った方がいいでしょう。

 

 

何より、映画が先にありきのため、小説に制約がかかっているようです。そのために福井晴敏作品の特徴である詳細な描写はありませんし、作品のスケール感も失われています。

歴史との関わりを描くのであれば現実の歴史を上手く取り入れて欲しいのですが、その点が書けているとは感じられないのが残念です。

また、私が読んだ本は横長であり、デザインも含め変に凝った装丁でした。凝るのは良いのですが、実に読みにくい。この点でも残念でした。文庫本であればこの点はクリアされるのでしょうが。

以上残念ですが、映画と共におすすめとは言い難い作品でした。

ローレライ [DVD]

福井晴敏原作の「終戦のローレライ」を映画化。1945年8月、ドイツ降伏後日本海軍に収容された潜水艦「伊507」の艦内を舞台に、任務を負ったクルーたちの様々な思いが交錯する。果たして、クルーたちは任務を遂行することができるのか…。(「Oricon」データベースより)

 

映画版「亡国のイージス」に比べると少々落ちます。

評価する声もそこそこあるようなので全くの個人的な感想かもしれませんが、原作の面白さを再現できているとは思えませんでした。

終戦のローレライ

昭和二十年、日本が滅亡に瀕していた夏。崩壊したナチスドイツからもたらされた戦利潜水艦・伊507が、男たちの、国家の運命をねじ曲げてゆく。五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライとはなにか。終戦という歴史の分岐点を駆け抜けた魂の記録が、この国の現在を問い直す。第22回吉川英治文学新人賞受賞。(1巻 : 「BOOK」データベースより)

この国に「あるべき終戦の形」をもたらすと言われる特殊兵器・ローレライを求めて出航した伊507。回収任務に抜擢された少年兵・折笠征人は、太平洋の魔女と恐れられたローレライの実像を知る。米軍潜水艦との息詰る死闘のさなか、深海に響き渡る魔女の歌声がもたらすのは生か死か。命の凱歌、緊迫の第2巻。(2巻 : 「BOOK」データベースより)

その日、広島は核の業火に包まれた。人類史上類を見ない大量殺戮の閃光が、日本に定められた敗北の道を歩ませ、「国家としての切腹」を目論む浅倉大佐の計画を加速させる。彼が望む「あるべき終戦の形」とは?その凄惨な真実が語られる時、伊507乗員たちは言葉を失い、そして決断を迫られた。刮目の第3巻。(3巻 : 「BOOK」データベースより)

「ローレライは、あなたが望む終戦のためには歌わない」あらゆる絶望と悲憤を乗り越え、伊507は最後の戦闘へ赴く。第三の原子爆弾投下を阻止せよ。孤立無援の状況下、乗員たちはその一戦にすべてを賭けた。そこに守るべき未来があると信じて。今、くり返す混迷の時代に捧げる「終戦」の祈り。畢生の大作、完結。(4巻 : 「BOOK」データベースより)

 

第二次世界大戦も末期、日本への移送中に米軍から逃れるために日本近海に投擲されたドイツの秘密兵器「ローレライ」を回収するための戦いを描く、長編の冒険小説ですた。

 

とにかく長い物語です。文庫本全四巻で千七百頁を超えます。

それでも、かなり面白く読みました。『亡国のイージス』でも「国家」について考えさせられましたが、本作でもまた、先の戦争を通じて国家の在り方について問いかけられています。

 

 

福井晴敏という人は、とにかくディテールにこだわる作家さんだと思われます。

登場人物も多数に上るのですが、それぞれについて人物の背景を説明し、更に舞台の背景を説明するのですから物語が長くなるのも当たり前でしょう。

凄いのは、冗長になるであろうこの長い物語を読み手の興味を惹いて飽きさせないその筆力です。山崎豊子の作品も、例えば『不毛地帯』 (新潮文庫 全五巻)のように決して上手いとは思えない文章でいながら、長大な物語を引っ張っていきますが、その感覚に似ているのでしょうか。

 

 

かように、もう少し簡潔に描写出来るのではないかと思わせる個所が少なからずあるのですが、それよりも物語を読ませる力が強いと感じさせられます。

場合によっては政治色が強くなり、読者の興を削ぎかねないテーマなのですが、エンターテインメント性が強いためかこの点も負担にはなっていないようです。

 

日本には珍しい骨太のスケールの大きい作品の一つだと思います。軽く読める本ではありませんので、そうした本を好みの方以外の大半は面白いと評価されるのではないでしょうか。

第二十四回吉川英治文学新人賞、第二十一回日本冒険小説協会大賞日本軍大賞を受賞した作品です。

 

ちなみに、本書は役所広司、妻夫木聡らの出演で映画化されています。かなり見ごたえのある作品として出来上がっていたと思います。