検察側の罪人

本書『検察側の罪人』は、検察官を主人公にした実に重厚で読み応えのあるミステリー小説です。

少々テーマが重く、軽めの作品を好む人にとっては受け入れにくい物語かもしれません。

 

蒲田の老夫婦刺殺事件の容疑者の中に時効事件の重要参考人・松倉の名前を見つけた最上検事は、今度こそ法の裁きを受けさせるべく松倉を追い込んでいく。最上に心酔する若手検事の沖野は厳しい尋問で松倉を締め上げるが、最上の強引なやり方に疑問を抱くようになる。正義のあり方を根本から問う雫井ミステリー最高傑作! (上巻 : 「BOOK」データベースより )

23年前の時効事件の犯行は自供したが、老夫婦刺殺事件については頑として認めない松倉。検察側の判断が逮捕見送りに決しようとする寸前、新たな証拠が発見され松倉は逮捕された。しかし、どうしても松倉の犯行と確信できない沖野は、最上と袂を分かつ決意をする。慟哭のラストが胸を締めつける感動の巨篇! (下巻 : 「BOOK」データベースより )

 

犯人に告ぐ』での大藪春彦賞を始めとする各種の賞を受賞している雫井脩介という作家の作品らしい、読み応えのある作品でした。

 

 

作家本人の言葉によると、「時効によって逃げ切った犯罪者を裁くことは可能か、という問いが着想のきっかけ」なのだそうです。

そのためには「捜査をある程度コントロールできる立場かつ、刑罰に意識的な人間」が中心にいなければならず、そのためには「検事」という職務が最適だと考えたのだそうです。

しかし、検事の職務についての知識に乏しく、その点でリアリティを出すのに苦労したとも言っています。

 

この点での著者の苦労があったからこそのリアリティだと感じました。検察官の取り調べの様子などは、勿論その実際を知るものではない私ですが、何の違和感も抱くことはありませんでした。

それどころか、最上を始めとする検察官という人間の「法」に対する思い、「正義」という言葉の持つ意味についての悩みなど、読み進むにつれ惹きこまれていったほどです。

ただ、それとは別にどうにも最上という検察官の存在そのものに違和感を感じてしまいました。このような検察官の存在自体が結局虚構でしかあり得ないと感じ、その違和感をぬぐえませんでした。

 

勿論、小説の設定ですから、作家の書きたい思いを表現するためのデフォルメの一つだと割り切れば何ということは無い問題の筈です。

実際、私も殆どの小説ではそのように割り切っているからこそ面白い物語として読んでいるのでしょうから。しかし、一旦そう感じてしまった以上はどうしようもありません。

このように感じるのは少数派だと思います。事実、レビューを読むと大多数の人は本作品を力作であり、面白い作品だと評価しています。

本書『検察側の罪人』を含む多くの小説が、「正義」という面映ゆさを伴うこの言葉を軸テーマにしています。例えば東野圭吾の『さまよう刃』や横山秀夫の『半落ち』など、他にも挙げればきりないでしょう。

これらの作品は人間の存在という根源的な問いかけをテーマにしていて、登場人物に一般では考えられない行動を取らせています。

ですが、本書とは異なりその行動に違和感を感じないのですから、読み手の我がままと言うしかないのでしょう。

 

 

検察官を主人公とする小説と言えば、近時柚月 裕子の『最後の証人』という作品が掘り出しものでした。本書に比べるとかなり読みやすく、それでいて社会性も持っている小説です。佐方貞人というヤメ検を主人公としてシリーズ化されていてお勧めです。

 

 

しかし、私らの年代で言えば検察官を主人公にした推理小説と言えば、高木彬光の『検事霧島三郎』でしょう。正義感に燃えた青年検事の活躍が光ります。ただ、近時の文庫本の表紙イラストはいただけない。

 

 

ところで、本書『検察側の罪人』が映画化されています( 映画『検察側の罪人』公式サイト : 参照 )。

監督はリメイク版の『日本のいちばん長い日』や『駆込み女と駆出し男』を撮った原田眞人で、東京地検の最上毅検事を木村拓哉、若手検事の沖野啓一郎を二宮和也というジャニーズコンビで演じています。キャストは私の好みとは異なりましたが、そこそこに楽しめた映画でした。

配役に関してはいろいろと言いたいこともあります。しかし、それを言い出したら始まらないので言いませんが、ただ、この両者で本書のテーマである「正義」を重厚感をもって表現してくれたと胸張って言えるかと問われれば、首をひねらざるを得ませんでした。

とはいえ、映画は監督ものだということを聞いたことがあります。監督の本書についての解釈が「法」と「正義」ではなかったならば、出演者の演技を論じることも無いでしょう。

ナミヤ雑貨店の奇蹟

第7回中央公論文芸賞を受賞している、東野圭吾という作家の特色が出ている連作の短編小説、いや長編ファンタジー小説です。

東京から車で二時間ほどの場所に位置する町の一角にある雑貨店は、どんな悩みにも応えてくれることで有名だった。ある日、コソ泥を働いてきた若者らが、もうだれも住んでいないこの雑貨店に逃げ込んできた。ところが、そこに一通の封書が舞い込む。誰かが悩み相談の封書を投げ込んできたのだ。若者らは、この封書を無視することもできず、返事を書くことにした。

本書の構成は短編小説と言っていいのかもしれません。しかし、各短編はお互いに深くかかわりあっていて一遍の長編小説と言えると思います。つまり、「ナミヤ雑貨店」という普通の雑貨店を中心として様々な方が時代を越えて交錯し、互いに助け、助けられして影響を与えあっているのです。私たちの人生もそうで、今のあなたのその行為は他の人に深く影響を与えるかもしれないよ、人間としてのお互いの存在は互いに深くかかわりあっているのだよと言っているようです。

冒頭に“ファンタジー”と書いたのは、いわゆる犯人探しという意味での推理小説とは言えないからですが、物語の構成そのものはミステリアスです。物語の冒頭に、半分朽ちた「ナミヤ雑貨店」にいるコソ泥を働いて逃げてきた若者たちに手紙が届く場面がありますが、誰がこの手紙を届けたのか不明です。誰が、どのようにしてこの手紙を届けたのか、その謎は物語が進むにつれて明らかにされていき、次の物語に進むとまた新しい謎が出てきて、その謎は後に明らかになっていくのです。

東野圭吾の作品らしいといったのは、人間を描いたニューマンストーリーとしても一級の面白さでありながら、先に述べたようにSFチックなミステリー小説としても成立しているところです。

この作者のSF若しくはファンタジー系の作品とすれば13人の男女を残し町が廃墟となる『パラドックス13』や脳移植をテーマにした『変身』のようなSFチックな作品や、タイムスリップものである『トキオ』のようなファンタジックな作品もあってその多彩な能力には驚かされます。

東野圭吾という人の凄さは『加賀恭一郎シリーズ』や『ガリレオシリーズ』のような社会派のミステリーだけにとどまらず、『笑小説シリーズ』のようなコミカルな物語もこなし、加えた本書のようなファンタジックな物語をもこなすところです。職人的な面白さだと言っても良いかもしれません。その多くが映像化されているのも無理もない話です。

東野 圭吾

1958年、大阪生まれ。大阪府立大学電気工学科卒。エンジニアとして勤務しながら、1985年、「放課後」で第31回江戸川乱歩賞受賞。
1999年、「秘密」で第52回日本推理作家協会賞受賞。
2006年、ガリレオシリーズ初の長編「容疑者Xの献身」で第134回直木賞受賞。同書は第6回本格ミステリ大賞、
2005年度の「週刊文春ミステリーベスト10」「このミステリーがすごい!」「本格ミステリ・ベスト10」各第1位にも輝いた。
(東野圭吾プロフィール|東野圭吾ガリレオシリーズ特設サイト『倶楽部ガリレオ』)

あらためての紹介も必要ないほどのベストセラー作家です。
その作品の多くがテレビや映画と映像化され、小説の域を越えた活躍をされている作家さんです。

この作家ははじめはいわゆる本格推理と言われる作品を発表されていました。この時期の作品では『白馬山荘殺人事件』などを読み、私が本格派は好みではなかったために、しばらくは東野圭吾の作品を読むことはありませんでした。

その後我が家にあった『レイクサイド』と言う作品を読んだのが2010年の初め。この作品が案外に面白く、続いて『片思い』『幻夜』と読み進めました。このあたりの作品は、当初の本格派推理とは異なり、若干社会性を帯びてきている頃だったのでしょう。思いのほか私の好みに合い、他の作品もいろいろと読むようになったのです。

調べてみると1998年に刊行された『秘密』のヒットにより一躍注目される作家の仲間入りをしたようです。『レイクサイド』を始めとする上記の作品は『秘密』のあとに刊行された作品であり、『秘密』あたりが変化の時期だったのでしょう。そう言えば『秘密』は人格の転移をモチーフにした作品であり、若干SFめいた作品と言えなくもありません。その発想のユニークさが発現したのでしょうか。

中でも第134回直木賞受賞を受賞した作品である『容疑者Xの献身』は見事につぼにはまり、その後の『新参者』でとどめを刺されました。その後、十全に書かれた本格派の作品も含め出版されている殆どの作品は読んだつもりです。読み落としは数冊しかないでしょう。

言うまでもなく、東野圭吾作品は多くの賞を受賞し、冒頭に書いたようにさまざまな形での映像化も為されています。それほどに人気作家ではある東野圭吾です。その作風の変化は本格派から社会性を帯びた作風へとの変化に即したものかもしれません。いや、それも一因でしょうが、東野圭吾のアイデアの見事さを支える文章構成力、そして人間心裡を描く文章力という実力に裏打ちされたものなのでしょう。

東野圭吾の作品にはシリーズものは少ないという話を聞きます。しかしながら『加賀恭一郎シリーズ』『ガリレオシリーズ』という二大シリーズの他に『天下一大五郎シリーズ』や『浪花少年探偵団シリーズ』、『笑小説シリーズ』などがあるようです。

社会派の推理小説作家としては松本清張を始めとして多くの作家がいます。中でも近年読み応えのある作家としては『64(ロクヨン)』などで有名な横山秀夫がいます。更に新しい作家としては横山秀夫を損壊するという柚月裕子の『最後の証人』から始まるシリーズは読み応えがありました。

ねむりねずみ

しがない中二階なれど魅入られた世界から足は洗えず、今日も腰元役を務める瀬川小菊は、成行きで劇場の怪事件を調べ始める。二か月前、上演中に花形役者の婚約者が謎の死を遂げた。人目を避けることは至難であったにも拘らず、目撃証言すら満足に得られない。事件の焦点が梨園の住人に絞られるにつれ、歌舞伎界の光と闇を知りながら、客観視できない小菊は激情に身を焼かれる。名探偵今泉文吾が導く真相は?梨園を舞台に展開する三幕の悲劇。歌舞伎ミステリ。「BOOK」データベースより)

 

歌舞伎の世界を舞台にした正統派の長編推理小説です。

 

本書は、声を失った中村銀弥こと棚橋優と、その妻一子の物語である第一幕、小川半四郎の舞台の最中に半四郎の婚約者である河島栄が殺された二年前の殺人事件を今泉文吾らが解決していく第二幕から成っています。

物語の舞台である歌舞伎の世界に合わせて、二幕構成と言うべきでしょうか。

 

本格的な推理小説ではあったのですが、本書の舞台が歌舞伎の世界であることに加え、歌舞伎という芸道そのものが物語のテーマになっていることもあって、推理小説であることはほとんど意識せずに読んでいました。

本書の二幕構成という手法が小説の構造としていいものかは私にはわかりませんが、個人的には、一幕目の二人の行く末がこの物語の中でどういう位置づけをされているのかに関心が移ってしまいました。それほどに声を失った役者を描いた一幕目の描写に存在感があったように思えます。

つまりは、作者の歌舞伎に対する思いの表れが当初から強く感じられたということでしょうか。作者の強い思いは本書全体から溢れんばかりに感じられ、個別の演目や役者らに対する作者の知識の豊富さは目を見張るばかりです。

 

ただ、あまり意識しなかったとはいえ、推理小説としてはかなりの不満が残りました。二年前に起きた、衆人環視の中での殺人事件のトリックがいくらなんでもあり得ない、という印象です。

こうした思いは私だけのものではなく、誰しもが抱いた疑問のようで、西上心太氏も本文庫の解説で、本書のトリックは「無理を承知の上で」ある意図のもとにあえてこのような舞台設定にしたのだろうと、書いておられます。

歌舞伎に詳しい作者が素人でも思う無理な場面をあえて設定しているのは、西上氏の言うように、あえて書いた、という指摘が正しいと言うしかないのかもしれません。しかしながら、どこかそのような解釈を認められない気持ちも残っています。

 

このような疑問点は抱えているものの、作者が本書を書かれたのはデビュー間もない頃のようです。にもかかわらずこれだけの作品を書かれるのですから見事なものです。その後の作者の活躍は皆の知るところでしょう。

 

歌舞伎をテーマにした推理小説と言えば、この作家には他に『巴之丞鹿の子』などもあります。個人的には本書よりもこちらのほうが好みではありました。

また、 松井今朝子の作品も有名です。『風姿花伝三部作』などはその代表的な作品で、私はその完結編の『道絶えずば、また』しか読んでいないのですが、この人の知識もまた素晴らしく、独特な雰囲気をもった作品でした。

さらに、杉本章子の『お狂言師歌吉うきよ暦シリーズ』は時代小説で、艶やかな舞踊の世界を舞台とした、小気味いい小説でした。

軽く読める作品では、田牧大和の『濱次シリーズ』があります。梅村濱次という歌舞伎の中二階女形を主人公にした作品です。軽く読めるのですが、それでいて舞台小屋の小粋な雰囲気が全編を貫いている、人情小説といえると思います。ミステリー性はあまりありません。

未読ですが、宮尾登美子の『きのね』が高名なようです。十一代目市川団十郎夫人がモデルだと言われている作品で、調べるとすぐにこの作品の名前が出てきました。

 

サクリファイス

ぼくに与えられた使命、それは勝利のためにエースに尽くすこと―。陸上選手から自転車競技に転じた白石誓は、プロのロードレースチームに所属し、各地を転戦していた。そしてヨーロッパ遠征中、悲劇に遭遇する。アシストとしてのプライド、ライバルたちとの駆け引き。かつての恋人との再会、胸に刻印された死。青春小説とサスペンスが奇跡的な融合を遂げた!大藪春彦賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

プロの自転車競技(ロードレース)を舞台としているスポーツ小説で、また青春小説でもあり、そしてミステリーでもある贅沢な小説で、第10回大藪春彦賞受賞作品です。また第5回本屋大賞で第2位になり、第61回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門で候補作となっています。

 

私の場合、これまで自転車競技、なかでもロードレースに関する知識と言えば、「ツールドフランス」という言葉や。それに関連してアームストロングという選手のドーピング問題が騒がれたことが記憶に残る程度でしょうか。

そういえば、私がスタジオジブリのアニメと勘違いしていた『茄子 アンダルシアの夏』というロードレースを描いたアニメ作品があり、これは面白い作品でした。

 

 

それくらいしか知識、関心が無いロードレースなのですが、本書『サクリファイス』は冒頭から惹きこまれてしまいました。本書の最初に、全く予備知識のない読者にもロードレースというものがどのようなものなのか、が丁寧に説明してあるのです。

 

ただ、なじみの薄い自転車競技についての説明はまだ分かるのですが、主人公のチームの優勝に向けて縁の下の力持ちに徹し、レースの優勝は目指さない「アシスト」という立場は分かりにくく感じました。

この点は、ロードレースという競技が素人考えでは個人競技としかとらえられないのですが、それを個人競技の要素も持ち合わせたチームプレイとして別な視点から見ればいいのかもしれません。

 

本書を青春、スポーツ小説として読んでいくと、そのうちにサスペンス小説としての魅力に気づきます。ある登場人物の過去の秘密にまつわる出来事に気を取られていると、悲劇が巻き起こるのです。

 

自転車競技に詳しい人からは現実とは違うなどの批判もあるようですが、自転車競技の実態を知らな一般読者には臨場感に満ちた描写として満足できる作品だと思えます。

恋愛に絡めた描写もあるのですが、個人的にはその部分は無くてもいいかなと思いました。

 

自転車競技と言えば、大人気のコミックがあります。『弱虫ペダル』という作品ですが、私は全巻を読んだわけではないのでどこまできちんと描写してあるのかは分からないのですが、数冊を読んだ限りではなかなかに面白そうな作品でした。

この作品はアニメ映画化もされていてかなり評判も良いようです。2019年1月8日現在59巻まで出ているようです。

 

 

他にも自転車競技を取り上げた小説もあるようですが、私は未読です。

本書には続編の『エデン』、外伝の『サヴァイヴ』があり、登場人物が異る青春小説の『キアズマ』という関連作品も出ています。

 

 

悪果

大阪府警今里署のマル暴担当刑事・堀内は、淇道会が賭場を開くという情報を拇み、開帳日当日、相棒の伊達らとともに現場に突入し、27名を現行犯逮捕した。取調べから明らかになった金の流れをネタに、業界誌編集長・坂辺を使って捕まった客を強請り始める。だが直後に坂辺が車にはねられ死亡。堀内の周辺には見知らぬヤクザがうろつき始める…。黒川博行のハードボイルドが結実した、警察小説の最高傑作。(「BOOK」データベースより)

 

悪徳刑事を主人公にした、黒川ワールド炸裂の長編の警察小説です。

 

大阪府警今里署の暴力団犯罪対策係に所属する巡査部長の堀内信也は、管轄内の暴力団である淇道会が賭場を開くという情報を掴み、他の部署からも応援を得て、相棒の伊達と共に開帳の現場へと乗り込む。

そこで捕まえた客らの情報を業界誌編集長の坂辺に流し、強請りの分け前にあずかっていた堀内だったが、次第に身辺にきな臭いものを感じるのだった。

 

本書の前半は、内偵で得た賭博開帳の情報の処理について、逮捕に至るまでの警察の行動の手引き、とでも言うべき流れになっていて、この段階では本書の特色は未だ見えていません。ここでは『疫病神』シリーズのような軽妙な大阪弁による掛け合いもあります。

後半になると、まるで異なる物語であるかのように物語が展開します。

主人公の刑事二人は冒頭から自らの収入源の確保に精を出していて、変わりはないのですが、ストーリーは、堀内の恐喝の相棒である業界誌編集者の坂辺がひき逃げにあうあたりから一気にサスペンス色が濃くなります。堀内と相棒の伊達のコンビが坂辺の死の謎を追うなかで、堀内が襲われ警察手帳を奪われるなど展開が激しくなってきます。

そして前半の賭博の場面が重要な意味を持ってきて、逢坂剛の『禿鷹の夜』を思わせるワルの活躍する物語へと変身するのです。このことは主人公のコンビだけではなく、登場する警察官皆が同じです。「正義」という言葉は机の上に飾られているだけです。

 

 

本書も『疫病神』シリーズと同様に緻密で丁寧な描写が為されていて、人物の行動の意味が明確です。読者はただ作者の意図に乗って読み進めていくだけとも言えます。この詳細さは警察の裏金や情報収集に不可欠の情報料など、警察の必要悪とされる側面についても同様で、これらの負の側面についての描写が全くの虚構だとも言いきれないのが哀しいところでもあります。こうした警察の負の側面を描いた小説として、北海道警察の問題をついた東 直己の『南支署シリーズ』や佐々木 譲の『笑う警官』などを思い出します。共にとても面白い作品でした。

 

 

緻密な構成と、大阪弁で繰り広げられる軽妙な掛け合いが魅力の黒川ワールドは、腰を据えて読む必要はあるかもしれませんが、一読の価値ありです。

自覚: 隠蔽捜査5.5

『初陣 隠蔽捜査3.5』に続く、『隠蔽捜査』シリーズのスピンオフ作品で、このシリーズの様々な登場人物の視点で描かれた、全7編からなる短編集です。

「漏洩」 貝沼副署長自身も報告も受けていない、誤認逮捕さえ疑われる連続婦女暴行未遂事件の記事が東日新聞に載っていた。竜崎署長の耳に入る前に解決しようとする貝沼副署長だったが・・・。

「訓練」 警視庁警備企画係の畠山美奈子は、大阪府警本部に行き、スカイマーシャルの訓練を受けるようにとの指示を受けた。しかし、キャリアの、しかも女性である畠山に対して、現場の人間の対応は冷たく、心が折れそうになる。

「人事」 第二方面本部の野間崎管理官は、新本部長として赴任してきた弓削篤郎警視正の、新たな職場について「レクチャー」を受けたいとの要望に対し、問題のある警察署として、竜崎の勤務する大森署の名を挙げるのだった。

「自覚」 大森署刑事課長の関本良治は、強盗殺人事件の現場で警視庁捜査一課長らと臨場しているところに発砲音が聞いた。大森署の問題刑事である戸高が発砲したというのだ。

「実施」 大森署地域課長の久米政男のもとに、突然、刑事課長の関本が、「地域課のばか」が犯人に職質をかけて取り逃がした、と怒鳴りこんできた。職質をかけたのは研修中の新人であり、地域課と刑事課との全面的な喧嘩にもなりかねない事態となる。久米は職を賭しても新人を守ろうと決意する。

「検挙」 大森署刑事課強行犯係長の小松茂は、警察庁からの通達として検挙数と検挙率のアップを申し渡されるが、戸高からは「どんなことになっても知りませんよ。」との言葉が返ってきた。

「送検」 警視庁刑事部長の伊丹俊太郎は、大森署管内で起きた強姦殺人事件の捜査本部に臨席し、被害者の部屋の中から採取された指紋と、防犯カメラの映像などから逮捕状請求とその執行とを指示した。しかし、竜崎に連絡を取ると「それでいいのか?」という質問が返ってきた。

この物語の各短編は、中心となる人物の目線で語られます。そして、登場人物それぞれの立場や人間性に基づいて個々の難題に直面し、行き詰るのです。その絡まってしまい、解きほぐすことのできない糸が、最終的に竜崎署長のもとに持ち込まれると、いとも簡単に解きほぐされてしまいます。それはまるで、黄門さまの印籠のようでもあります。

それはあまりに都合が良すぎると感じる側面も確かにあります。しかし、その都合の良さでさえもこの作者の手にかかると小気味良さへと変化し、実に面白い短編に昇華してしまうのです。

何より、この物語は、本体である『隠蔽捜査』シリーズの世界観を立体的なものとし、シリーズの世界に奥行きを持たせてくれています。スピンオフ作品のもつ効果が最大限に発揮され、本書自体の面白さと相まって、より世界観の広がる作品として仕上がっていると感じます。

欠落

特殊犯捜査係に異動してきた同期の大石陽子は立てこもり事件の身代わり人質となってしまう。直後に発生した死体遺棄事件を捜査しながらも刑事・宇田川は彼女の安否が気にかかる。難航する二つの事件の捜査。幾つもの“壁”に抗いながら、宇田川は真相にたどりつけるのか!?『同期』待望の続編。長編警察小説。

捜査一課勤務の主人公と公安に配属された蘇我という警察学校同期の物語を描いた前作『同期』の続編です。

 

警視庁捜査一課刑事の宇田川は、担当している多摩川の河原で起きた殺人事件の捜査もまた行き詰っていた。同じころ、初任科同期の大石陽子が、着任早々の立てこもり事件で被害者の身代わりになる事件も起きていた。そんな折に、やはり同期で懲戒免職になっていた蘇我から大石のことで連絡が入った。

 

本書『欠落』は、初任科つまりは警察学校の同期という設定のもと、刑事と公安とを仲間にするというめずらしい設定の警察小説です。普通、刑事警察と公安警察とは仲が悪いものとして描かれています。今野敏の小説でも『倉島警部補シリーズ』のような公安捜査官を主人公にした作品はありますが、そこでもこの両者は仲が悪いものとして描かれているのです。

しかし、本書『欠落』では、刑事の宇田川と公安捜査員の蘇我を警察学校の同期として設定して、言わば共同作業を行わせ、同期の友情物語として仕上げているのです。「友情物語」とは言っても感傷過多な物語ではなく、公安との確執も描きつつ、刑事ものの定番をふまえています。また、『曙光の街』を第一作とする『倉島警部補シリーズ』が倉島警部補の成長物語でもあったように、本シリーズは宇田川の成長譚としての側面も持っています。

本書については「リアリティーがない」という感想も見られました。でもそれは個人の好みの問題だと、勝手に思っていて、個人的には十分に面白い物語だという印象です。確かに、主人公の「勘」を頼りに物語が進行する点など、無理な進行、展開を感じないこともないのですが、本書なりの世界観はそれなりに出来上がっていて、決してリアリティーが無いとまでは言えないと思えます。

公安警察の物語と言うと、前述した今野敏の『倉島警部補シリーズ』がありますが、他にはテレビドラマ化、更には映画化もされた、逢坂剛の『百舌の叫ぶ夜』から始まる『MOZU』シリーズが著名な作品として挙げられるでしょう。また、現実の公安警察官だったという経歴を持つ濱嘉之が書いた『警視庁情報官シリーズ』、それに 竹内明の『背乗り ハイノリ ソトニ 警視庁公安部外事二課』など、実にリアリティーに富んだ小説もあります。

銀弾の森

渋谷の利権を巡り、渋六興業と敵対する組の幹部を南米マフィア・マスダが誘拐した。三つ巴の抗争勃発も辞さない危うい絵図を描いたのは、なんと神宮署生活安全特捜班・ハゲタカこと禿富鷹秋。狙いは一体何なのか―己の欲望のままに拳をふるい、敵味方なく外道の道をゆく稀代の悪徳警官シリーズ第三弾。(「BOOK」データベースより)

 

禿鷹シリーズの三作目です。

 

マスダへの対抗のため、渋六興業と敷島組とは対立しつつも共同戦線を張っていた。

しかし、ハゲタカは敷島組の若頭の諸橋をマスダのアジトへと連れていき、身柄をそのまま預けてしまう。

マスダとの共闘を持ちかけるマスダの幹部だったが、筋を通す諸橋はそれに応じようとはしないのだった。

 

本作品では、禿富刑事、渋六興業、マスダという三者に加え、敷島組の今後についての思惑もあり、その対立が緊張感を持って描かれています。

ただ、本作品に関しては禿富刑事の冒頭での行動意図が分かりにくく、若干の欲求不満が残ってしまいました。

敷島組の若頭の諸橋を増田に預けるということは場合によっては諸橋の命はないことも分かっていたはずです。にもかかわらず預け、実際諸橋は命を落としてしまいます。

 

作者が本人の内心を描写しないため、ハゲタカの行動や他の人物の言動から類推するしかないのですが、登場人物も禿富刑事の行動の意味が分からないと言っているのですから、読者も当然分かりません。

禿富刑事は、諸橋の女である真理子を手に入れるためだと言っていますが、それすらも本心かどうかは分からないのです。

 

結局、シリーズ全体の流れ、今後の展開からは何らかの意味があるのかもしれませんが、これまで読んできた限りでは不明です。強烈なキャラクターを持つ主人公の魅力で成り立つシリーズだけに、もう少し禿富刑事の行動の意味をはっきりとさせて欲しく感じました。

勿論、作者の意図するところを私が読みとれていない、ということが一番可能性があるのです。ただ、書評家の西上心太氏は、ダシール・ハメットの『血の収穫』をやりたいのではと言っておられます。「無法の街に現れ、並立する組織の間を泳ぎ回っては対立を煽っていくコンチネンタル・オプ。どうもオプと禿富の姿がダブって見えるのだ。」と書いておられます。

 

 

そう言われればそうとしか思えなくもありませんが、これまでのハゲタカの印象からすると、金づるである渋六興業までをもつぶそうとするのだろうか、という疑問は残るのです。

ともあれ、個人的には若干の不満の残る作品ではあるのですが、それでも面白い、お勧めの小説であることには間違いはありません。

尾根を渡る風

取り調べ中に容疑者が自殺、青梅警察署水根駐在所へと降格された元刑事・江波敦史。奥多摩の穏やかな暮らしにも慣れ、自分を取り戻していた。そんなある日、御前山でいなくなったペット犬捜しを頼まれた彼は、山で何者かが仕掛けた罠を発見。それは隣県で発生した殺人事件の証拠だった。シリーズ第2弾!(「BOOK」データベースより)

 

駐在刑事シリーズ第二弾の短編小説集です。

 

山岳警察小説という謳い文句がありましたが、ミステリーというよりは、奥秩父の山を舞台にした人間ドラマを描いた連作短編集と言ったほうが正しい気もします。

 

花曇りの朝」  いなくなった犬を探してほしいと頼まれ、山歩きを兼ねて登った御前山で見つけたトラバサミは、その後の大事件への糸口だった。

仙人の消息」  皆から仙人と呼ばれている男の姿が見えないため、江波が田村の家に電話をしてみると、不審な男が「職権乱用で告訴する」と脅してくるのだった。

冬の序章」  山に初雪が降ったある日登山道の点検もあって山に登ろうとすると、近くにある店の看板娘の真紀が、気になる男女の二人組を見たという。登ってみると、トオノクボという広場の近くの斜面で遭難者を見つけるのだった。

尾根を渡る風」  新緑の季節、トレイルランニングの練習をしている江波は、司書の内田遼子からストーカーらしき人物の相談を受けた。図書館に来た人物に似ているらしいが、その人物がトレランの練習中にも表れた。

十年後のメール」  10年ほど前に山で行方不明になった息子から父のパソコン宛に「助けて」というメールが届く。

 

各短編が、四季おりおりの顔を見せる奥秩父の山を舞台に展開されています。その情景描写はやはり舞台背景を如実に表し、都会とは異なる物語だということを知らしめてくれます。

本書の主人公である青梅署水根駐在所所長の江波敦史は、警視庁捜査一課時代に起こした不始末のために左遷されてきたという過去を持つ警部補です。

なんとか町にもなじんで自分を取り戻しつつある江波と、いつも江波と共にいる雑種犬のプール、それに主人公の方が世話になってしまった感がある池原孝夫、江波と同じくバツ一の司書遼子、それに江波のかつての同僚だった青梅警察署の刑事課強行犯係係長の南村陽平といった面々が脇を固めていて、思った以上に読みごたえのある物語でした。

 

「山里の人々との心の触れ合いを通じて成長する主人公」の物語を通じて、「どんなに荒んだ人の心でも必ずその奥底に眠っているはずの善とでもいったもの」を描きたかった、との著者の言葉がありました。

笹本稜平の作品の一つに『春を背負って』という物語があります。松山ケンイチ、豊川悦司という役者さんで映画化もされている作品ですが、本作はこの作品に通じるところがあるようです。共に大自然を舞台に繰り広げられる人間ドラマをを描いている作品なのです。

 

 

本作などを読んで思うのは、やはり笹本稜平という作家は山が舞台の作品が良いということです。『越境捜査』を始めとするシリーズなどの作品も悪いというわけではありませんが、どうしても山岳小説での人間描写の深さなどを思うとそう思ってしまいます。もしかしたら、個人的に山の匂いのする物語が好きなのかもしれませんが。