宝の山 商い同心お調べ帖

江戸の町を繁栄させるのは物が動き、銭が動くことだ―いなりずしから贋金まで、物価にまつわる騒動の始末に奮闘する同心・澤本神人。家では亡くなった妹の娘・多代を男手ひとつで育ててきたが、そこに居酒屋の美人女将が現れて―物の値段に人情を吹き込む新機軸の時代ミステリー!(「BOOK」データベースより)

 

帯には「時代ミステリー」と銘打ってある短編の時代小説集です。

 

主人公の設定が少々変わっていて、江戸市中の物の値段や許しのない出版などを調べることを職務としている諸式調掛方同心ということになっています。

当初は定町周りの同心だったのですが、北町奉行鍋島直孝により、「顔が濃い」という理由で諸式調掛方へ配置替えとなったのです。この奉行は「一朝の夢」「夢の花、咲く」にも出てきた奉行です。

この主人公は名前を澤本神人(さわもとじんにん)と言い、まん丸顔で数字に明るい庄太という小物を引き連れて江戸の町を歩き回ります。諸式調掛としてあちこちに顔を出すうちに情報通となっていき、元は定町周りですので持ち込まれる謎を解いていくのです。

 

ただ、最初の「雪花菜(きらず)」という話では、あまり謎とはいえない謎で終わってしまい、物語としても面白いとはいえないものでした。

しかし、「犬走り」「宝の山」「鶴と亀」「富士見酒」「幾世餅」「煙に巻く」と話が進むにつれ、夫々の話が稲荷鮓屋、献上物や贈答品の余剰品を扱う献残屋、紙屑買い、獣肉を食べさせるももんじ屋と、江戸の種々の商売を織り込んで、江戸の町の豆知識にもなっていきます。

そして、人情話を絡めた物語となり、やはり朝顔同心の作者だと思える、人情ものとして仕上がっていました。

 

朝顔同心程の心地よい読後感とまではいきませんでしたが、軽く読める人情本といったところでしょうか。それでもシリーズ化される雰囲気もあり、それがまた楽しみな作品でもあります。

夢の花、咲く

朝顔栽培が生きがいの気弱な同心・中根興三郎は、植木職人が殺された事件の探索を手伝うことになった。その直後、大地震が発生し江戸の町は大きな被害を受け、さらに付け火と思われる火事もつづいた。無関係に見えるいくつかの事件の真相を、興三郎は暴くことができるのか。松本清張賞受賞作の姉妹編(「BOOK」データベースより)

 

朝顔栽培を生きがいとする北町奉行所同心を主人公とした『一朝の夢』の姉妹編です。

 

ある植木職人が殺された。朝顔同心こと中根興三郎は知り合いの植木職人である留次郎やその隣人の吉蔵に尋ねるがなかなかその身元が分からない。

一方、この事件を調べる定町廻り同心の岡崎六郎太は吉蔵の娘お京と結婚することになっていたが、その吉蔵に疑いがかかってしまう。ところが、その探索の途中で安政の大地震が起き、江戸の町は壊滅してしまうのだった。

 

本作品は、上記の『一朝の夢』の数年前の物語です。『一朝の夢』は幕末の大事件を背景にした物語でしたが、本作は安政の大地震が背景になっています。

一般に「安政大地震」といえば、1855年に発生した「安政江戸地震」を意味するようです。しかし、幕末の動乱期でもある安政年間には、他にも「安政東海地震」や「安政南海地震」、「飛越地震」、「安政八戸沖地震」ほかの地震も頻発し、これらを含めて「安政の大地震」と総称されることもあるそうです。(ウィキペディア参照)

この「安政江戸地震」での死者は一万人にもなるといわれています。この時期には多数の瓦版や鯰絵が出されたらしく、そこらは梶よう子の『ヨイ豊』にも書かれています。

 

 

当たり前ですが、中根興三郎は変わらずに朝顔に夢中です。興三郎の朝顔の師匠の留次郎やその隣人吉蔵、その娘お京、お京の許嫁の定町廻り同心岡崎六郎太等々が事件に、そして悪徳商人に振り回されます。この悪徳商人が少々典型的すぎて若干興をそぐところはありましたが、興三郎の人の良さや朝顔や周りの人への愛情により物語は先行きの幸福をにじませつつ進みます。

前作の『一朝の夢』と同じく、本書でも興三郎は「変化朝顔」に夢中です。そこでも書いたように、「変化朝顔」は朝顔の変種のことであり、作り出された新種の朝顔によっては単なる趣味をも越えて、金銭の絡むこともあったようです。

また、「変化朝顔」がテーマになった小説として、中二階女形を主人公にした人情小説、田牧大和の『花合せ 濱次お役者双六』があり、時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もあります。

 

 

やはり、心地良い時間を過ごすことのできる一冊だと思います。

一朝の夢

北町奉行所同心の中根興三郎は、朝顔栽培を唯一の生きがいとしている。世の中は井伊大老と水戸徳川家の確執や、尊王攘夷の機運が高まり不穏だが、無縁だ。だが江戸朝顔界の重鎮、鍋島直孝を通じ宗観と呼ばれる壮年の武家と知り合ったことから、興三郎は思いも寄らぬ形で政情に係わっていく。松本清張賞受賞(「BOOK」データベースより)

 

朝顔栽培を生きがいとする北町奉行所同心を主人公とした連作の人情小説集です。

 

幕末の江戸、元北町奉行鍋島直孝の屋敷前で絶命していた武家の死体が消えた。一方、町人や商人が四人続けて辻斬りの犠牲になるという事件が起きる。

しかし、両組御姓名掛りという奉行所員の名簿作成役に過ぎない中根興三郎は、相変わらず唯一の趣味である朝顔の栽培に夢中になっているのだった。

ところが、元北町奉行鍋島直孝が江戸朝顔界の重鎮であるところから、宗観と呼ばれる武家と知り合うことになる。そうして武家の死体の消失事件や辻斬り事件とも関わり、更には時代の波にも無関係ではいられなくなるのだった。

 

本作を評して「町方や市井の物語の向こうに常に歴史が透けて見える、そんな作風」だと、大矢博子氏が書いておられます。

評論家という方もまた文章のプロだとは常々思わされるのですが、言い得て妙だと思いました。読者が知っている歴史的事実の隙間を「ドラマティックに埋めていく」のが歴史小説ですが、本作品は「年表の隙間を埋めるのではなく、年表に半透明の幕を張り、その手前でドラマを展開する」というのです。

本書では、歴史的人物だけを取り上げて物語の中に放り込み、幕末の歴史的な出来事は間接的に読者の前に示されるにすぎません。歴史的な事実は背景に過ぎず、ドラマはその前で展開されます。

人が良いばかりで、朝顔に関してだけは人一倍の知識を有するオタクである中根興三郎だからこそ、歴史的事件には関わらず、その人物に朝顔を通じて交流するだけという展開が可能なのでしょう。

「どんなに美しく咲いても花は一日で萎れてしまう」朝顔は「一朝の夢」であり、だからこそ愛おしいと言う中根興三郎に、宗観が贈った「一期一会」という言葉、茶席に臨むとき「再び返らぬ生涯の一時とする。」というその言葉が心に残ります。

 

本書の主人公の中根興三郎が夢中になっている趣味の「朝顔」とは、朝顔の変種を生み出し生まれた新種の朝顔のあり様を競う「変化朝顔」のことです。

時代的には本書より前の話ですが、本書の続編として出された『夢の花、咲く』も勿論変化朝顔が取り上げられています。

 

 

また、田牧 大和の『花合せ 濱次お役者双六』は、中二階女形を主人公にした変化朝顔をめぐる人情小説ですし、時代小説ではありませんが東野圭吾の『夢幻花』もやはり変化朝顔が主要テーマになった推理小説です。

 

 

派手さは無いけど、読んでいてゆっくりとした時間が流れる、そうした心地よい時間を持てる一冊です。第15回松本清張賞受賞作品です。

柿のへた 御薬園同心 水上草介

水上草介は、薬草栽培や生薬の精製に携わる小石川御薬園同心。人並み外れた草花の知識を持つものの、のんびり屋の性格と、吹けば飛ぶような外見からか、御薬園の者たちには「水草さま」と呼ばれ親しまれている。御薬園を預かる芥川家のお転婆娘・千歳にたじたじとなりながらも、草介は、人々や植物をめぐる揉め事を穏やかに収めていく。若者の成長をみずみずしく描く、全9編の連作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

小石川御薬園同心という珍しい役人を主人公とした連作の人情小説集です。

 

主人公水上草介は江戸は小石川の御薬園の同心です。御薬園の名前は聞いたことがあったのですが、その来歴は知らず、ましてや「同心」といえば警察職務と思っていた私には驚きの設定でした。

小石川の御薬園とは現在の「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」のことです。「江戸で暮らす人々の薬になる植物を育てる目的」で造られたもので、当初は別の場所にあったものが1684年(貞享元年)に現在の場所に移されたのでそうです。そこでの管理者である役人としての同心が本書の主人公です。(ウィキペディアによる)

本書を評して「時代小説にも草食系男子」と評した人がいました。言い得て妙だと思います。確かに本書の主人公は侍ではあっても剣の腕前はからっきしです。代わりに草木の知識は相当なもので、その知識で周りで巻き起こる様々な出来事に対処していくのです。

 

侍が主人公の、これまで読んできた時代小説とは趣が異なり、派手な展開はありません。ただ、水上草介の草木に対する愛情が細やかに語られます。

ただ、その代わりと言っていいのか、水上草介の上司の娘で、剣の腕も立つお転婆娘千歳が登場します。この二人の掛け合いが好ましく、二人の行く末もこの先の楽しみの一つでしょう。

植物は人間の力でどうなるものでもない。しかし、手をかければそれなりに育つ。「植物を愛し、尊敬している草介を通して、めまぐるしい現代で忘れられている生き方を伝えられたらうれしい。」とは著者梶よう子の言葉だと書評にありました。

 

植物をモチーフにした作品といえば、梶村啓二の『野いばら』という作品があります。植物が主題ではないのですが、幕末の英国軍人の眼で見た日本を、詩的な文章で描写してある恋愛小説と言ってもいいかもしれません。少々趣は違いますが、良質な感動を覚えた作品でした。

 

 

他に、シーボルトの屋敷の薬草園を管理する庭師の物語である朝井まかての『先生のお庭番』という作品もあります。

 

 

何よりも本作品を読んで一番に思い出した作品と言えば、漫画『家栽の人』という作品です。主人公は家庭裁判所の裁判官で、いつも植物を愛でています。そして出版社からのコメントにあるように「植物を愛するように人を育てる異色の家庭裁判所判事」として、杓子定規な法律の適用だけではない判断を下すのです。これも良い作品でした。

 

 

『御薬園同心 水上草介』シリーズは、読後感がとても心地いい小説です。ずっと続編が出るのを待っていたのですがやっとでました。『桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介』という作品です。こちらも待ったかいがある作品でした。

梶 よう子

東京都足立区出身。フリーライターとして活躍する傍ら、小説の執筆を開始する。2005年、時代小説『い草の花』で第12回九州さが大衆文学賞の大賞を受賞する。2008年、『槿花、一朝の夢』で第15回松本清張賞を受賞し(応募時の名義は蘇芳よう子)、『一朝の夢』と改題し刊行、小説家デビュー。
(出典:Facebook)
2016年、『ヨイ豊』で第154回直木三十五賞候補となる。

この作家の作品を調べてみると、「あさがお」がテーマだったり「植木職人」「ことり」だったりと動・植物に関連した物語が多いように見受けられます。

特に、どの作品でもとても読み易い文章を書かれ、作者の視点が優しく感じられます。

2005年に「い草の花」で九州さが大衆文学賞大賞を受賞し、2008年には「一朝の夢」で松本清張賞を受賞しておられます。ここにも「い草」が出てきました。

ただ、2016年に第154回直木三十五賞候補になった『ヨイ豊』を読んでみると、上記のようなこれまでの梶よう子という作家に対する印象が、少なからず変わったのも事実です。

それまでの、作品自体の持つ暖かさとでも言うべきものが、『ヨイ豊』では印象が異なったのです。と言っても、それは主人公ら絵師の、絵を描くことそのものに対しての視線の厳しさであって、絵師らに対するそれとは異なります。

師匠の名跡を継ぐことに対して煩悶する主人公や、失われいく江戸を哀しむ絵師たちを見つめる作者の目線は、やはり優しさに満ちていると思います。

武家用心集

不自由な武家社会の中で、不測の事態を切り抜けてゆく人々を描く小説集。郡奉行の一人だった半右衛門は罪を犯した友人の逃亡を助けたために罰を受ける。その後の不遇と人間不信から立ち直る男を描く「田蔵田半右衛門」、種痘術を学び国元に戻った青年医師が、将来を約束していた女性の変貌と向き合う「向椿山」など、いずれも繊細な言葉と、静謐な筆致で紡ぐ短編八編を収録。(「BOOK」データベースより)

 

己を見失うことなく生きようとする人間を描きだす八編の短編からなる時代小説集です。

 

多分四、五年も前に読んだ作品で、メモもとっておらず、その内容を殆ど覚えていません。ただ、藤沢周平に似た雰囲気を持っている、という印象を持ったことを覚えているだけです。

収められている短編夫々が、華々しい展開がある物語というわけではなく、武士のありようを静謐な筆致で描写してある、そんな作品集だったと思います。

またあらためてじっくりと読んでこの稿を書き改めたい、と思っています。

 

ただ、静かな物語を好む人であればまず間違いない作品だと言えるでしょう。

逍遥の季節

本書『逍遥の季節』は、様々な芸道に生きる女性を主人公に据えた短編集です。

美しい文章で登場人物の日々の営みを情感豊かに描きだしている読みごたえのある作品集でした。

 

早くに両親を失い、同じような出生の二人は、幼い頃から互いを支え合ってきた。紗代乃は活花、藤枝は踊りを生き甲斐にして。だが、いつしか二人は、一人の男に翻弄されていた(表題作)。子を置いて離縁し、糸染に身を捧げる萌に所帯を持とうと言い寄る男が現れる(「秋草風」)。三絃、画工、根付、髪結…。人並みの幸福には縁遠くても、芸をたのみに生きる江戸の女たちを描く芸道短編集。(「BOOK」データベースより)

 


 

冒頭の「竹夫人」では、女は、苛酷さしかないその道ではあるけれども「女の旅は終(つい)の棲みかを目指すことであろうかと考え」、自分と同じように三味線を心のよりどころとする男との暮らしを選びます。

男と共に“芸の向かうところ”へ向かおうという女の思いは、作者の自然でしっとりとした描写によって、しずかに情景に溶け込んでいくようです。

 

「秋野」でも、愛してもいない男に捧げた年月の末に、いま女は茶席で知り合った同郷の男の傍にいて、妾の身から旅立つ自分を思っているのです。

 

「三冬三春」の主人公の阿仁は、師匠である酒井抱一の代筆をしていますが、それは自分が書きたい画を殺すことでもあります。自分の心の赴くままの画を書きたいと思う阿仁は、ある日一歩を踏み出します。乙川優三郎が、三月毎に移ろう江戸の四季を繊細な描写で描きだしています。

 

本書『逍遥の季節』では、この他に表題作の「逍遥の季節」に至るまで、全部で七編の芸に生きる女たちが、美しい文章で語られる季節感と共に語られていきます。

例えば『白樫の樹の下で』での青山文平文体は叩けば硬質な音がするようですし、葉室麟の『蜩の記』では山奥の澄みきった空気のような透明感があります。

でも本書での乙川優三郎の文章はどこか水の中を歩くような、何かまとわりつくものを感じます。それでいて、別に湿った感じはありません。ただ、数年前に読んだ『武家用心集』ではそのような印象を持った記憶はありません。

 

 

だからと言って本書の文体が嫌だという訳ではありません。まだ読んだ作品数が少ないので何とも言えないのが本音ですが、文章が美しい作家さんだという思いがまずあります。

ただ、本書の場合、芸道に生きる女性を描いているので特に情緒的な側面が強いのではないでしょうか。

 

 

本書『逍遥の季節』での七つの作品の夫々に三味線、茶道、画工、根付、糸染め、髪結い、活け花をテーマとしており、女性が主人公だからなのか殆どの作品で男との関係に悩む女の姿が描かれまていす。

男の存在はその女性の人生そのものに関わってくるような重大事です。女一人で生きていくことを自ら選んだ、若しくは選ばざるを得なかった女性たちが、芸の道を、ある者は選んだ男と共に、ある者は全く一人になって歩んでいきます。

一方、男が主人公である芸の道に生きる男を描いた小説としては山本周五郎の『虚空遍歴』を思い出します。この作品は浄瑠璃を極めようとする男の物語で女性が絡んでいたと思うのですが、女性の存在は芸と対立するようなものではなかったと記憶しています。

これは勿論作者の描き方によるものでしょうが、男と女の本質的な差によるところが大きいのではないでしょうか。

 

 

まだまだ、他の作品を読んでみたいものです。

乙川 優三郎

1953年に生まれ、ホテル・観光業の専門学校を卒業後国内外のホテルに勤務の後、種々の職を経て作家になった、とありました。

この作家は『逍遥の季節』という作品と『武家用心集』という短編集を読んでいるだけです。ですからあまりこの作家のことについて書けないのですが、最初に『武家用心集』を読んだときは藤沢周平に似た雰囲気を持っている、と思ったものです。

平蔵の首

本書『平蔵の首』は、あの池波正太郎の『鬼平犯科帳』で描かれる火付盗賊改方長官、長谷川平蔵を主人公とする連作短編集です。

本書自体が成功しているかは人それぞれの判断ですが、個人的には今一つという印象はありました。

 

「平蔵の顔を見た者は、だれもいねえのよ」。盗賊・黒蝦蟇の麓蔵は復讐を遂げるため、いまは平蔵の手先となった女に案内を頼んだ「平蔵の顔」。両国橋の界隈で、掏摸を働いていた姉弟に目をつけたところ、思わぬ大事件にあたる「繭玉おりん」。火付盗賊改・長谷川平蔵のまったく新しい魅力を引き出した六篇。特別対談・佐々木譲。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書『平蔵の首』での鬼平は殆ど自分では動きません。探索に差し支えるということから自らの顔を人前にさらすことをしないのです。

悪人どもは仕事をするためにも、また鬼平に報復をするためにも鬼平の顔を知りたいと願い、そのことを逆手にとって、鬼平は様々の仕掛けを施し、一味を捉えるのです。それでいて、事件の全貌を見通し、人情味も見せつつ犯罪者は厳しく取り締まります

 

ただ、平蔵が様々の仕掛けを施すのは良いのですが、今度は登場人物が平蔵が予想するとおりに動き過ぎではないかという気はします。

この点については作者本人が、「最初のころはまだ自分なりの「平蔵」が固まっていなかったせいか、あまり出てこない」と言っているほどなので、本書に限ったことなのかもしれません。

 

また、作者の言葉を借りれば「私は主人公の心理描写は一切せず、周りの人々の印象でキャラクターを作り上げていくことが多」く、「この作品でもそれを踏襲してます、と言っておられます。主観を排するというハードボイルドの手法を本書でもとりいれられているということです。ただ、そのことがうまく機能しているかというと、若干疑問はあります。

 

とはいえ、あの長谷川平蔵像に挑もうとするのですから大変なことだと思います。その上で、作業は成功していると評価されているのでしょう。だからこそ2014年8月には『平蔵狩り』という作品が発表されています。この作品ではより明確に逢坂版長谷川平蔵が仕上がっていることを期待します。

 

雪まろげ: 古手屋喜十 為事覚え

本書『雪まろげ: 古手屋喜十 為事覚え』は二年前(2011年9月)に出た『古手屋喜十為事覚え』の続編となる六編からなる連作短編集です。

宇江佐真理の小説たしくあい変らずに読みやすい作品であり、また読了後は心が豊かになる物語でした。

浅草は田原町で小さな古着屋を営む喜十は、北町奉行所隠密廻り同心の上遠野のお勤めの手助けで、東奔西走する毎日。店先に捨てられていた赤ん坊の捨吉を養子にした喜十の前に、捨吉のきょうだいが姿を現した。上遠野は、その四人の子どもも引き取ってしまえと無茶を言うが…。日々の暮らしの些細なことに、人生のほんとうが見えてくる。はらり涙の、心やすらぐ連作人情捕物帳六編。(「BOOK」データベースより)

 


 

本書では冒頭の「落ち葉踏み締める」で喜十夫婦に子供が出来る話しから始まります。捨吉という名前のその子は夫婦の店の前に捨てられていた子供なのです。この子が何故に捨てられなければならなかったのか、少々重く哀しい物語が語られます。

それでも二作目の「雪まろげ」からは家の中に赤ん坊がいて、その子にどう対応して良いかわからずにいる亭主、という普通の家庭の様が描かれていきます。

北町奉行所隠密廻り同心の上遠野平蔵は変わらずに助っ人の依頼を持ち込んできており、これまた変わらずに文句を言いながらも手助けをする喜十がそこにはいます。

本作では猪の肉などを食べさせる「ももんじ屋」の息子の神隠しの話を聞きに行きます。何か犯罪に絡む話があるのではないかと調べに行くのです。「雪まろげ」とは雪のかたまりのこと。二つ合わせれば雪だるまになります。

 

続く「紅唐桟」では長崎から男を追って出てきた遊女の身の振り方を決めるのに呻吟し、更に「こぎん」では行き倒れの男の身元を探すなかで「こぎん刺し」という着物の縫い方から悲哀に満ちた話が語られます。

また、「鬼」では皮膚病の親子に手を差し伸べ、「再びの秋」では捨吉の兄弟の物語に戻ってくるのです。

 

やはり宇江佐真理の小説は読み終えた後に心が豊かになります。楽しい物語では勿論、どこか哀しみに満ちた物語であっても人情の温かさが溢れており、救いがあるからだと思うのです。

本書では喜十と同心の上遠野平蔵との掛け合いも大きな魅力になっています。上遠野平蔵の無神経なもの言いの裏にある人情味溢れた始末など、喜十が上遠野から離れられないわけがあるのです。

 

ところで、当時世界有数の都市であった江戸の町は効率的な循環型社会だったと何かの本に書いてありました。資源の有効利用が発達し様々なリサイクル業があったそうです。

金属製品の修理をする「鋳掛け屋」、桶や樽の箍(たが)を作りなおす「箍屋(たがや)」等々があり、そして古着屋もそうで四千軒もあったらしいとありました。そういえば、佐伯泰英の『古着屋総兵衛影始末シリーズ』も古着屋が主人公でした。