木内 昇

出版社勤務の後、フリーの編集者となり、その後1997年からは自ら「spotting」というインタビュー誌を主宰されているそうです。

2008年に発表された『茗荷谷の猫』が各方面で絶賛され、 2009年には早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞を受賞し、2011年に『漂砂のうたう』で第144回直木賞を受賞されています。

この『漂砂のうたう』では「閉塞感を感じさせる物語」を書きたかったとインタビューに答えておられますが、『地虫鳴く』は新選組の中でもこれまで名前も知らなかった隊士を描き、『櫛挽道守』では名も知らぬ職人の生きざまを描いていて、表舞台ではない光のあたらない人間を描くことが得意な作家さんなのかもしれません。

地の文ではなく、「仕草とか言葉遣い、動きの癖」で人物の内面を表したいと語っておられるように、説明的な文章ではなく陰影のある情景描写が特徴的ではないでしょうか。またリズム感があり、とても読みやすい文章です。しかし、少なくとも私の既読の範囲では決して明るい物語ではなく、ストーリーの変化に富んだエンターテインメント性の強い作品を求める人には向かないかもしれません。

ただ、未読の『笑い三年、泣き三月。』は「戦後すぐのストリップ小屋を舞台にした面白おかしい物語」らしいので、少々タッチが異なるかもしれません。

喧嘩猿

時は幕末。十六歳の捨吉は名刀・池田鬼神丸と自分の左眼を奪った「黒駒の勝蔵」を追って故郷を飛び出す。千に一つの島破りを成功させた伝説のやくざ「武居の吃安」と出会った彼は、やがて凄絶なる戦いの渦に巻き込まれてゆく。「森の石松」が次郎長の子分となる前の若き姿を描くアウトロー講談小説登場!(「BOOK」データベースより)

 

ひと昔前、と言っても私が子供の頃ですから半世紀ほど前の時代なら子供まで知っていた森の石松の物語の長編時代小説です。

 

本書は活字に古い書体の漢字を使ってあり、それに丁寧にルビを振ってあります。当初はそれが少々わずらわしく感じたのですが、読み進むにつれ邪魔な感じは無くなってしまいました。講談調を目論んだであろう著者の狙いにはまったのでしょう。

これまで見聞きした森の石松、黒駒の勝蔵、武居の吃安といった連中が漢(おとこ)として生き生きと活躍しているではないですか。かつて東映の股旅ものの映画などで清水の次郎長等が描かれ、そこでは黒駒の勝蔵、武居の吃安は敵役に過ぎませんでした。それが、それなりの貫禄のある男として描写されています。

 

それらの男の前で石松もまだまだ通り一遍の悪ガキでしかありません。その悪ガキがこれから売り出そうとする黒駒の勝蔵と出会ったり、大親分の武居の吃安に気にいられたり、と一人前になる前の時代が描かれるのです。

この物語は一巻で終わってしまう物語ではないでしょう。もう少し木内版石松を読んでみたい気がします。

木内 一裕

木内一裕といえば1980年代に一世を風靡した「BE-BOP-HIGHSCHOOL」(ビー・バップ・ハイスクール)の作者「きうちかずひろ」その人です。

あの漫画は高校生ヤンキー達の日常をコミカルに描いてあり、面白い作品でした。

で、その漫画家さんが小説を書いたということなのですが、この小説がなかなかに達者です。小説のデビュー作品は映画化もされた「藁の楯」でした。

漫画もヤンキーの青春物語という暴力ものの流れでしたが、小説も同様です。いや更に輪をかけています。

文章は簡潔で少々乱暴ではありますが、読み易く、スピード感にあふれています。ただ、どの作品も暴力的ではあるもののどこか哀しみを漂わせており、作品によってはその哀しみが前面に出てきすぎていると感じさせる作品もあります。ノワール作品と捉えた方が良いかもしれません。

全体的に暗い話が多いですが、面白いです。

沙羅沙羅越え

本書『沙羅沙羅越え』は、信長子飼いの武将として知られる佐々成政の冬季の飛騨山脈越えを描いた長編の時代小説です。

面白い小説でしたが、風野真知雄の描く物語としては物足りなく感じた作品でもありました。

 

戦国時代末期。越中の佐々成政は、天下取り最中の秀吉の野望を挫くため、孤軍奮闘していた。八方ふさがりの中、成政は、秀吉に対する徹底抗戦を家康に懇願しようと決意。敵地を避けて家康に会うには、厳冬期の飛騨山脈を越える必要があった。何度でも負けてやる―天下ではなく己の目前の道を見据えた、愚直な戦国武将。その悲哀と苦悩、誇り高き生き様を描いた本格歴史小説。第21回中山義秀文学賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

本書『沙羅沙羅越え』は、上記のように佐々成政が徳川家康に対し本格的な秀吉との戦いを持続するように依頼するために、厳寒の立山連峰を越えて浜松まで行った史実を描いた物語です。

 

信長亡き後天下を手にした秀吉と対立する成政は、生き残る道は徳川家康に願い織田家再興を促すしかない、と考えます。

しかし、西には秀吉の意を汲んだ前田利家がおり、東に上杉景勝がいて身動きが取れない。とすれば、厳寒の立山連邦を越えるしかないのでした。

 

佐々成政の立山連峰越えという話は、これまで他の戦国期を描いた小説の中でたまに触れられてはいました。しかし、その事実があったことを記してあるだけで、その意味までを考察した文章は無かったように思います。実際、本書を読むまでその意味を考えたことはありませんでした。

そこに、いかにもこの作者らしい独特な視点で歴史を捉えた作品ということで期待は膨らみました。

しかし、本書がその答えを示してくれているか、と言えば、先に述べた織田家再興を願う、ということしかありません。個人的にはその点をこそもっとはっきりと示してほしかったのですが残念でした。

佐々成政という武将の性格を実に真面目な一徹者であることを強調してあるところなどがその理由づけの補強なのでしょうが、個人的には納得できませんでした。

 

作者としても、山越えをするという事実だけでは物語としては寂しいと思われたのでしょう。佐々成政の城にもぐりこんでいる間者を洗い出す場面など、種々の色付けが為された物語として仕上がっていて、もちろん面白い小説です。

ただ、これまで読んできた風野真知雄という作家の作品にしては少々普通の小説になっている、という印象がします。

本書『沙羅沙羅越え』では、この作者独特のちょっとひねった筋立ては影を潜めているのです。その点は、先に述べた山越えの理由づけと共に、欲張りな読み手としてはもの足りませんでした。

 

著者の自由に描けるフィクションではなく、史実をもとにした歴史小説だということを考えると、素人の過大な要求なのかもしれません。

若さま同心徳川竜之助シリーズ

若さま同心徳川竜之助シリーズ(完結)

  1. 消えた十手
  2. 風鳴の剣
  3. 空飛ぶ岩
  1. 陽炎の刃
  2. 秘剣封印
  3. 飛燕十手
  1. 卑怯三刀流
  2. 幽霊剣士
  3. 弥勒の手
  1. 風神雷神
  2. 片手斬り
  3. 双竜伝説
  4. 最後の剣

新・若さま同心徳川竜之助シリーズ(2018年12月01日現在)

  1. 象印の夜
  2. 化物の村
  1. 薄毛の秋
  2. 南蛮の罠
  1. 薄闇の唄
  2. 乳児の星
  1. 大鯨の怪
  2. 幽霊の春

 

普通ではありえない徳川御三卿のひとつ田安徳川家の十一男坊が身分を隠して南町奉行所の同心見習いとして活躍する物語。

 

剣の達人ではあるが若様なので世間知らずであるために様々の失敗を繰り変えす。しかし、珍事件を解決することが重なり、その手の事件を回されるようになり・・・、という設定です。

いかにもこの作者らしく江戸市中で鹿が目撃されるなど事件は普通ではありません。そうした小さな事件を解決しつつより大きな悪を懲らしめるパターンではあります。

 しかし、この若様は剣はかなりつかえ、その剣の腕で謎の刺客をも倒していくのです。つまりは、活劇ヒーロー小説でもあり、十分に面白い小説で、お勧めです。

本シリーズは全十三巻で完結しています。ただ、一旦完結したはずのシリーズが再開しているのです。私は未読なのでどのような構成になっているのか、近く読もうと思っています。

大江戸定年組シリーズ

大江戸定年組シリーズ(2018年12月01日現在)

  1. 初秋の剣
  2. 菩薩の船
  3. 起死の矢
  4. 下郎の月
  1. 金狐の首
  2. 善鬼の面
  3. 神奥の山

 

主人公は同心上がり、旗本、商人の幼馴染の隠居三人組です。

 

この三人組が深川は大川近くに隠れ家を持ち、自分たちのこれからの人生を探求しようとします。そうした中、様々な頼まれごとを解決していくという設定です。

「耳袋秘帖」でもそうでしたが、この作者のせりふ回しには常に滑稽さがしのばせてあります。それが心地よく読み手の心をくすぐり、全体の印象をより穏やかなものにしているようです。

スーパーヒーローの剣の達人が活躍する活劇ものではありませんが、老境にさしかかった三人組が人情豊かに、滑稽味を加えながら事件を解決していく様は、小粋な物語と言えなくもなく、ゆっくりと物語を楽しみたい人には申し分のない一編だと思います。

耳袋秘帖シリーズ

主人公は南町奉行の根岸肥前守鎮衛という歴史上に実在した人物だそうで、知らなかったのだけれど、あの鬼平こと長谷川平蔵と同時代の人らしいです。

更に、「耳袋」も根岸肥前守が実際書いていた随筆のようなものが実在するらしく、本シリーズではその裏耳袋帖とも言うべき「耳袋秘帖」なるものを設定して、事件の狂言回しにしています。

この事件がまたしゃべる猫や古井戸の呪いなど怪異なものが絡む話で、その謎解きが各短編を組み立てつつ、巻毎の現実の人間の闇を暴いていく、という面白い構成をとっています。

単に怪異現象を全面的に押し出すのではなく、そのような話をきっかけとしながら現実の事件を解決していくその手法は、滑稽なせりふ回しとともに読み進んでしまいます。一読の価値ありです。

本シリーズは「殺人事件」(16巻)と「妖怪」シリーズ(6巻)との二系統があります。もともと大和書房から「だいわ文庫」として出版されていましたが、後に文藝春秋社から加筆新装丁されて再刊行されています。

出版状況については詳しくは文藝春秋社の耳袋秘帖シリーズ 紹介サイトをご覧ください。

風野 真知雄

この作者の作品は紹介した三シリーズ以外は殆ど読んでいません。特に読まない理由はないのですが、タイミングを逃しています。

ただ『耳袋秘帖』シリーズにしても「大江戸定年組」にしてもそうですが、少々ではありますが変わった設定の謎解きがメインになっているようで、悪く言えばちょっと癖がある作家だと思います。

しかし、そのことこそがこの作家の個性であり、面白さではないでしょうか。そのせりふ回しは滑稽な側面も持っていて読みやすく、まずは一冊読んでみればその面白さが分かると思います。

他にも『妻は、くノ一』などテレビドラマ化されている面白そうなシリーズもありますし、また、『陳平』や『馬超』、『荀いく』などの三国志に絡む銘銘伝のような歴史小説も書かれており、更には『歴史探偵・月村弘平の事件簿シリーズ』では現代ミステリーも書かれていて、これから読むべき本が増えて楽しみな作家さんです。

ついでに書けば、風野真知雄氏は1951年生まれで私と同じ歳なのです。浅田次郎氏や笹本稜平氏も同じ年の生まれであり、この人たちの才能の見事さに愕然とさせられます。

桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介

本書『桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介』は、『柿のへた 御薬園同心 水上草介』の続編です。

小石川御薬園同心の水上草介とその周りの人たちが織りなす人間模様を、暖かな目線で描き出しています。

 

「水草さま」と呼ばれ、周囲から親しまれている小石川御薬園同心の水上草介。豊かな草花の知識を活かし、患者たちの心身の悩みを解決してきたが、とんでもなくのんびり屋。そんな草介が密かに想いを寄せてきた、御薬園を預かる芥川家のお転婆娘・千歳に縁談が持ち上がる。初めて自分の心に気付いた草介はある行動に出るが―。大人の男として草介が一歩成長をとげる優しく温かな連作時代小説。(「BOOK」データベースより)

 

小石川御薬園での毎日を植物の世話に明け暮れる水上草介(みなかみそうすけ)のもとに、吉沢角蔵(よしざわかくぞう)という二十歳そこそこの見習い同心がやってきた。

角蔵は何事にも融通が聞かず気難しく、園丁達からは堅蔵(かたぞう)と呼ばれるほどの堅物なのだが、更には角蔵とは正反対の性格の妹美鈴まで現れ、二人して草介の日常に何かと問題を巻き起こすのだった。

一方、千歳との仲は相変わらずで、ただ、千歳の振る舞いが折に触れ草介の胸の奥に奇妙な痛みをもたらしていた。その千歳に縁談が持ち上がる。

 

本書『桃のひこばえ 御薬園同心 水上草介』は、『柿のへた 御薬園同心 水上草介』の続編です。

 

 

相変わらずに読後感が爽やかです。この作者の作品を何冊か読んでくると、作品を読んでいる時間がとても幸せに感じられるほどに、作者の視線の優しさが感じられます。作者の生きることに対する姿勢そのものがにじみ出ているのでしょう。

特に本シリーズは主人公草介とその上司の娘千歳との会話が、ほのぼのとしていながらもユーモアに満ちていて、作品全体のありようを決めています。

恋に不器用なお人好しとお転婆娘という、ある種定番の二人ではあるのですが、作者の筆の上手さはパターン化を越えたところで読ませてくれるようです。

また、本書で言えば吉沢角蔵というどこか石垣直角を彷彿とさせるキャラクターを登場させ、その妹の美鈴の存在と併せ、物語の幅が一段と広がっています。

ちなみに「石垣直角」とは、小山ゆうが描いた、天下の名門・萩明倫館の学生・石垣直角(いしがき ちょっかく)と、直角の家族・仲間が繰り広げる痛快時代劇コメディ漫画『おれは直角』の主人公です。。

 

 

植物を相手とする物語と言えば、朝井まかての『先生のお庭番』はシーボルトの屋敷の薬草園を管理する庭師の物語でした。こちらが日本賛歌であるならば、本書は人間賛歌と言えるでしょう。

ついでに言えば、前作の『柿のへた 御薬園同心 水上草介』でも書いたように、漫画の『家栽の人』という作品は本作に似ています。家庭裁判所の裁判官である主人公は植物が好きで、本書の草介同様に植物になぞらえて当事者を説諭したり、語ったりします。

 

 

本書のタイトルの「桃のひこばえ」とは「樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと」だそうです。「元の幹に対して、孫のような若芽」ということで呼ばれているらしく、漢字を当てると「孫生え」だそうです。

ことり屋おけい探鳥双紙

本書『ことり屋おけい探鳥双紙』は、飼鳥屋(かいどりや)「ことりや」の女主人おけいを主人公とする連作の中編小説集です。

「かごのとり」「まよいどり」「魂迎えの鳥」「闇夜の白烏」「椋鳥の親子」「五位の光」「うそぶき」という七編の短編からなる、江戸は日本橋小松町で、未だ帰らぬ夫を一人待つ女を描く人情物語だ。

 

亭主の羽吉(はねきち)が、夜になると胸元が青く光る鷺(さぎ)を探しに旅立ってから三年が経つ。

羽吉と同道した旗本お抱えの鳥刺しは一人で江戸に帰ってきていたが、羽吉とははぐれてしまい消息は判らないという。おけいは、羽吉のいない年月を「ことりや」を守ることに捧げているのだった。

 

どの物語も、おけいが一人寂しさに耐えながらも、店を訪れる客や定町周りの永瀬の持ち込む話に一生懸命に耳を傾けつつも、鳥にまつわる疑問を解いていきます。

そのことが事件の裏に隠された真実を暴きだし、そこにある人間模様が心に沁み入る物語として描き出されているのです。

例えば最初の「かごのとり」では、おけいは小鳥が好きでも無さそうな娘が次々と小鳥を買い求めていく理由(わけ)を知り、その娘に「もう小鳥はお売りできません」と告げます。

そして、その娘の行いに隠された真実と向き合わせ、かたくなな娘の心を開いて行くのですが、そこで展開される人間模様が読者の心を打つのです。

 

登場人物としては、あの『南総里見八犬伝』の作者である曲亭馬琴が、客として、また良き相談相手としておけいの後見人的立場で登場します。

次いで、北町奉行所の永瀬八重蔵という定町周りが物語の定番としており、この永瀬が持ち込む相談も、おけいが謎ときをしていくことになります。

 

若干、物語のきっかけとなる出会いなどに、強引さが気になるところもあります。しかし、この作者の話の進め方の上手さなのでしょうか、優しく語られる物語の先行きが気になり、きっかけの強引さも気にならなくなってしまいます。

本書『ことり屋おけい探鳥双紙』でもおけいにとっての一大事は巻き起こりますが、強烈な事件という事件は起きません。

その点では物足りなく感じる人がいるかも知れません。でも、人情ものの中でもより視点の優しいこの作家の物語は、一息つける時間でもあると思うのです。