ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実

1966年『リボルバー』から1969年『アビイ・ロード』まで、ビートルズのレコーディング現場にいた唯一のエンジニアが語る、ファブ・フォー、創作の秘密の全貌。(「BOOK」データベースより)

 

本書はザ・ビートルズのレコード制作の現場にいた一人のエンジニアの眼を通してみた、ザ・ビートルズの四人の姿を客観的に記した貴重な作品です。

筆者のジェフ・エメリックが参加したザ・ビートルズのアルバムの、1966年の「リボルバー」から1969年の「アビイ・ロード」に至るまでのレコーディング風景を主に書いてあります。

 

 

ほとんどの人にとって、青春時代を語るとき、「ザ・ビートルズ」は必須の話題でしょう。私にとっても勿論、中学時代から高校時代の数年間、そしてそれ以降を語るうえでは欠かせないグループです。

私の高校時代は、なかなかチューニングの合わないニッポン放送のオールナイトニッポンのラジオ放送を聞き、カレッジフォークを聞いていました。決して欧米のロックンロールではなかったのです。

しかし多くの人と同じく、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』や『ヘルプ!4人はアイドル』などのザ・ビートルズの映画に影響され、私も遅まきながら彼らの歌声に魅せられていったのでした。

その後は、ラグビー仲間で熱狂的と言ってもいいザ・ビートルズファンの友人の影響もあり、私も人一倍のファンとなったのです。

こうした思い出は、当時のザ・ビートルズファンであれば誰でも語ることができるでしょう。

 

 

本書は、当然ですが、あくまでジェフ・エメリックというエンジニア個人の眼を通してみたザ・ビートルズやその周りの人物や出来事を書き記したドキュメンタリー作品です。その点を意識しながら読めばという前提付きですが、かなり面白い作品だったと思います。

また、総頁数は七百頁近くにもなる大部の本ですので、それなりの時間をとっておかなければ読み通せないでしょう。

筆者の主観的作品だとの限定を付けたのは、登場する人物についての評価がこれまで私が見聞きしてきた評価とは異なる部分が少なからずあるからです。

 

本書ではザ・ビートルズの四人の他に多くの人物が登場しますが、そのうち音楽プロデューサーであったジョージ・マーティンやマネージャーのブライアン・エプスタインなど、全くの音楽素人でミーハーにすぎない私でも聞いたことがある人もいます。

そして私は、ザ・ビートルズの成功は上記のジョージ・マーティンやブライアン・エプスタインの力がかなり大きかった、ということを当然のごとく聞かされていました。

しかし、本書で描かれるこの二人は決してそうではありません。筆者によれば、ジョージ・マーティンは目立ちたがり屋であり、ブライアン・エプスタインは得体のしれない人物だと、一言で言えばそうなります。

勿論、二人の音楽的、またマネージメントの手腕はそれぞれに認め、評価はしてあるのですが、特に音作りに関しては自分、つまりは筆者のジェフ・エメリックの功績が大だということを再三にわたり書いてあります。

音楽エンジニアという職業の内容を知らず、筆者の書いている技術的なことはほとんど理解できない私ですから、彼らの仕事面に対する筆者による評価が正当なものかどうかはわかりません。

ただ、筆者がグラミー賞などの客観的な賞を何度も受賞されていることからも、技術面では間違っていることは書いてないのでしょう。でも、人間性についてはいかがなものか、とは感じました。

 

ザ・ビートルズの四人のメンバーに対する筆者のジェフ・エメリックの評価はかなり偏っているのではないかという印象があるのです。

例えば、リンゴ・スターやジョージ・ハリスンは、本書の初めのほうでは他の二人の影に隠れた自信のない人物として書いてあります。

しかし、リンゴはザ・ビートルズにもと居たドラマーに代わってリズムセクション強化のために選ばれたという話を聞いていたので、きちんとしたリズムを刻めないというリンゴに対する評価は意外なものでした。

また、ジョージにしてもアルバム「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の作成の項で、「ジョージ・ハリスンの曲はジョンやポールの曲に比べてランクが落ちるというのが共通の認識だった」とさえ書いてあるのです。

確かに地味ではあったかもしれませんが、本書で書かれているほどに自信がなかったかというと、これまで聞いていた印象とは異なります。

 

筆者は、この四人の中ではポールと一番仲が良かったらしくポールのことは否定的な評価は書いてありません。というよりも、人間的にも音楽家としても高評価です。

反対にジョンに対しては辛らつです。と言っても、ジョンに対しての悪意を感じるわけではありません。ドラッグの影響もあってか、単純に感情の起伏が激しく、時には他人に対し毒舌を吐き、攻撃的になると、筆者が感じたことを客観的な事実として言っているだけです。

 

本書の著者はザ・ビートルズのレコーディングのエンジニアだった人です。と言ってもレコーディング・エンジニアとはどういう職業なのか、私も含め理解できる人はそうはいないと思います。

レコーディング・エンジニアとは「レコード、CDなどの音楽録音物の制作に従事し、音響の調整と録音などを行う技術者の呼称」( ウィキペディア : 参照 )を言います。

より詳しくは、上記ウィキペディアの該当項目を参照してください。多分、あまり理解できないと思います。少なくとも私はそうでした。

 

ジェフ・エメリックの仕事ぶりに関しては、現代のデジタル音楽で簡単に作り出せる様々な音色を、当時の機械を駆使して演者の要求する音色を作り出しているさまはよくわかりました。

他の人では無しえない音作りをしていたと思われます。

そうした音楽エンジニアである筆者が書いた本なので、本書はレコーディング上の技術的な事柄を中心に書いてあります。本当はそうしたレコーディング上の技術的な事柄を知らないと本書の面白味というか、醍醐味は半減するのかもしれません。

しかし、そうしたことを知らないでも十分に楽しめる本です。事実、本書に書いてある技術的な事柄のほとんどは私は理解できていませんが、四人の人間性など非常に高い関心をもって読み終えることができました。

 

様々なエピソードが述べられた末に、「ホワイト・アルバム」作成の頃、オノ・ヨーコが登場します。既に仲の良い四人組ではなくなっていたザ・ビートルズは、ヨーコの登場を機に更に機能不全に陥っていくのです。

 

 

そして、「アビイ・ロード」を最後にザ・ビートルズは解散してしまいます。ここらの描写は読んでいて寂しいばかりです。

それでも、ジェフ・エメリックは、ザ・ビートルズ解散の原因は「ぼくはヨーコが原因だったとも思わない。・・・アーティストとしての方向性が、もはや折り合いをつけられないほどバラバラになってしまっていたことだと思っていた。」と書いています。

 

 

この「アビイ・ロード」というアルバムのタイトルの決まり方に関しては、ジャケット撮影のためにチベットまで行くことに難色を示したリンゴの、「外で写真を撮って、『アビイ・ロード』というタイトルにすればいい」という一言で決まったと書いてあります。

こうした小さなエピソードの積み重ねは楽しいものですが、本書はエンジニアであるジェフ・エメリックの音作りの苦労に重きが置かれていて、裏話はその間の挿話のようになっています。

それでもなお、本書はザ・ビートルズファンとしては彼らの生きた姿を教えてくれる貴重な本です。

 

その時に対象となっているアルバムを聞きながらの読書は一段と楽しいものでもありました。しかし、心が離れていく彼らの足跡をたどることでもある読書でもあり、その面では寂しいものでもありました。

それと同時に、音楽に携わる人たちの音に対する感覚の鋭さに、あらためて驚かされる作品でもありました。

とはいえ、ファンとして一読していい作品だと思います。楽しいひと時でした。

J・エメリック

イギリスの音楽プロデューサーおよびレコーディング・エンジニア。彼のキャリアで最も有名な作品には、ビートルズのアルバム『リボルバー』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ』 (ホワイト・アルバム)、『アビイ・ロード』と、ポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』がある。( ウィキペディア : 参照 )

 

ザ・ビートルズに関する『ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実』の作者。

倉本 聰

倉本聰(クラモト ソウ) 脚本家・劇作家・演出家。1935年1月1日生まれ、東京都出身。東京大学文学部卒業。1959年にニッポン放送に入社。退社後独立し脚本家として活動する。1984年より『富良野塾』を主宰し、俳優や脚本家を養成。2000年に紫綬褒章を受章。代表作は『北の国から』シリーズ、『優しい時間』、『風のガーデン』など。( 倉本聰のプロフィール | ORICON NEWS : 参照 )

ドラマへの遺言

『やすらぎの郷』、『北の国から』、『前略おふくろ様』…テレビドラマ界に数々の金字塔を打ち立てた巨人、脚本家・倉本聰が83歳で書き上げた最新作『やすらぎの刻~道』まですべてを語り尽くす。大河ドラマ降板の真相は?あの大物俳優たちとの関係は?テレビ局内の生々しいエピソード、骨太なドラマ論、人生観―愛弟子だからこそ聞き出せた破天荒な15の「遺言」。(「BOOK」データベースより)

 

本書は、脚本家倉本聰を師匠と仰ぐ上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)の碓井広義による「日刊ゲンダイ」に連載されたインタビューをもとに編集された作品です。

 

私の机の面の前の本棚には『北の人名録』他四冊の倉本聰のエッセイ集が四冊並んでいます。三十年以上も前に亡くなった父の本ですが、これらの本がとても素晴らしいのです。

それからも倉本聰のエッセイは何冊かを読んだものですが、ここ十数年は読んでいませんでした、

 

 

もともと、『前略おふくろ様』というドラマにはまり、倉本聰という名前を知ったのでした。その後あの『北の国から』にどっぷりとつかり、『昨日、悲別で』『ライスカレー』と見続けました。

 

 

その後倉本聰の名はあまり聞かずにいたところ、『優しい時間』や『拝啓、父上様』などが続けて放映され、楽しみな時間を持てたものです。

 

 

あまりテレビドラマは見ない私が珍しく見ていた『2丁目3番地』や東芝日曜劇場の『うちのホンカン』シリーズが倉本聰脚本の作品だと知ったのはいつのことだったでしょう。

テレビで倉本聰のインタビューやドキュメンタリーなどがあれば可能な限りは見たつもりですが、ユーモラスな人でありながらも、仕事に関しては気難しい脚本家だとの印象ばかりが先に立っていました。

ただ、その気難しさは、本書を読む限りでは創作される作品に対する職人的な厳しさの裏返しであったようです。

 

従来から、例えば勝新太郎という役者が自分の演技論を主張して黒沢明監督と衝突したなどという話を聞くたびに、一本のドラマや映画は誰の主張や意見が主になるのだろうかと疑問に思っていたものでした。

脚本があって、それをもとに演出をつける演出家、監督がいて、役者がいる。そのそれぞれが持つ表現者としての主張をどのように折り合いをつけているのでしょうか。

本書では倉本聰なりの答えの一つとして、台詞の末尾を変えられるとその台詞自体の意味も変わってくるから本読みから参加する、と言っておられます。ですから、寺尾聡は勝手に台詞を変えたのでもう二度と使わない、とも書いてありました。

つまり、脚本家としての意図を台本読みの段階で説明するということで、それは演出家と演者への注文ということになります。だから、NHKの大河ドラマでの衝突などの事件も起きるのでしょう。

その意味では、ビートたけしも認めないというのです。ビートたけしは芸人であり、瞬発力こそ命の芸人さんでしょう。倉本聰のように台詞を大事にする脚本家とは合わないというのは分かる気もします。

 

以上のようなことは、本書のごく一部です。倉本聰の仕事に対する姿勢がよくわかる一冊になっています。

とくに、現在進行形で進んでいる『やすらぎの郷』に関してもかなりのページ数を費やしてあります。『やすらぎの郷』の裏話満載ということですね。

このドラマももちろん見ているのですが、本書を読んでからはさらに舞台裏をのぞき、見知った気にもなり、より面白く見ています。

 

 

このように、今のテレビドラマ界に対する主張満載の本書は、もちろん倉本聰という一人の脚本家の主観的な意見を取り上げたインタビュー作品です。

まして、インタビュアーも倉本聰の弟子を自任する碓井広義という人物ですから、倉本聰を客観的に見れているかといわれればそうではないというしかないでしょう。

しかし、本書は倉本聰という人物を分析する本でもないし、単に倉本聰という人物を紹介したいというインタビュアーの意図のもとに書かれた本です。

そしてその意図は十分に満たされていると思います。

私のような倉本ファンにとってはもってこいの一冊でした。

団 鬼六

(1931-2011)1931年9月1日、滋賀県生まれ。関西学院大学卒。様々な職業を経たのち、1957年、文藝春秋のオール新人杯に入選し、執筆活動に入る。「奇譚クラブ」に投稿した『花と蛇』が評判を呼び、以後SM小説の第一人者となる。他の著書に『真剣師 小池重明』『美少年』『檸檬夫人』『最後の愛人』『往きて還らず』など多数。食道ガンにより2011年5月6日没。享年79。本名、黒岩幸彦。( 団鬼六 | 著者プロフィール | 新潮社 : 参照 )

いわゆる官能小説の書き手であることは知っていましたが、サド・マゾ作品を書かれる作家さんだということで、一冊も読んだことはありませんでした。

1989年に一度断筆宣言をされたそうですが、1995年に『真剣師・小池重明』という作品を書かれ、復活されたそうです。

今回、柚月裕子の『盤上の向日葵』という作品を読むにあたり、小池重明という人を調べていく中で団鬼六の『真剣師・小池重明』という本にであい、読むことになりました。

真剣師 小池重明

真剣師 小池重明』とは

 

本書『真剣師 小池重明』は、文庫本で326頁の、実在の将棋師を描いた評伝です。

柚月裕子の『盤上の向日葵』を読む前提として読んだ作品ですが、本書自体の面白さにひかれて一気に読んでしまいました。

 

真剣師 小池重明』の簡単なあらすじ

 

プロよりも強いスゴイ奴がいた!“新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーが、闇の世界で繰り広げた戦いと破滅。日本一の真剣師を決める通天閣の死闘など、壮絶な軌跡を描く傑作評伝。(「内容紹介」より)

 

真剣師 小池重明』の感想

 

本書『真剣師 小池重明』は、柚月裕子の『盤上の向日葵』という将棋を題材にしたミステリーを読むにあたり、真剣師の小池重明という人物のことを調べてから読んだ方がいいという焼酎太郎さんのお勧めに従って見つけた作品です。

 

 

真剣師というのは、簡単に言えば「テーブルゲームの賭博によって生計を立てている者」のことであり、ここでは賭け将棋で生きている人物のことになります。

なぜそのようなギャンブラーが本の題材になるのかというと、一冊の本にするに値するほどの、それだけ凄まじい人生を送った人物であったということです。

事実、小池重明という人物の将棋の強さは強烈なものがあったようで、連続二期アマ名人となり、プロ棋士を相手にしてもことごとく勝ち続けたといいます。

プロ棋士への道も開きかけたのですが、小池の寸借詐欺事件や女性問題、暴力事件などの素行の悪さから日本将棋連盟により却下されてしまったそうです。

しかしながら、生来人当たりは良く、どこか憎めない性格だったそうですから、恩人を裏切っても許してもらえ、再度その恩人を裏切ってもまた別な支援者が現れるなど、愛される側面もあったと思われます。

そういった性格だからこそ女性にも好かれたのであり、人妻との駆け落ち事件を三回も起こすことになったのでしょう。

 

この点については、著者の団鬼六自身が小池重明について

この男には不可思議な魅力があった。人間の不純性と純粋性を兼ね合わせていて、つまり、その相対性の中に彷徨をくり返していた男である。善意と悪意、潔癖と汚濁、大胆と小心、結城と臆病といった相反するものを総合した人間といえるだろう。徹底して多くの人に嫌われる一方、また、多くの人に徹底して愛された男である。/div>

と本書『真剣師 小池重明』の「はじめに」と題された文章の中で書いています。

 

先に述べた『盤上の向日葵』という作品に登場する真剣師が小池重明をモデルにしている人物です。著者の柚月裕子自身が本書『真剣師小池重明』を読みこの本を書いたと言っています。

そんな、一個の人間として社会生活を満足に営むことのできない社会不適合者と言えそうな小池重明という人間を、晩年の小池重明をよく知る著者が、小池重明本人の手記などをも引用しながら、克明に暴き出しているのが本書です。相当なインパクトを持った評伝です。

 

本書『真剣師 小池重明』のようなギャンブルに生きる人物を描いた作品としては、柚月裕子も読んだと書いていましたが、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』(全四巻)という作品があります。タイトルの通り麻雀をテーマにした作品で、文章中に麻雀牌の図柄を織り込んだ小説でした。

破滅的ではありますが、主人公の成長譚としてどこか青春小説のような側面も持ったピカレスク小説であり、麻雀にのめり込んだ学生であった私や友人はこの小説をむさぼり読んだ記憶があります。

ちなみに、この『麻雀放浪記』は真田博之主演で映画化もされ、監督がイラストレーターの和田誠だということでも話題になりました。また、いろいろな漫画家によるコミック化も為されているようです。

 

 

ついでに言うと、柚月裕子の文章にも出てきましたが、『聖の青春』という作品をよく目にします。

早逝した天才棋士村山聖の生涯を描いた作品だそうで、松山ケンイチ主演で映画化もされました。

かなり評価の高い作品らしいので、近いうちに読んでみようと思います。この作品は山本おさむにより漫画化もされています。