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井上 荒野 雑感

1961年東京生まれ。1989年「わたしのヌレエフ」で第一回フェミナ賞を受賞してデビュー。
2004年『潤一』で島清恋愛文学賞、2008年『切羽へ』で直木賞、2011年『そこへ行くな』で中央公論文芸賞受賞。
著書に『グラジオラスの耳』、『もう切るわ』、『ひどい感じ 父・井上光晴』、『森のなかのママ』、『しかたのない水』、『誰よりも美しい妻』、『学園のパーシモン』、『ズームーデイズ』、『ベーコン』、『夜を着る』、『雉猫心中』、『静子の日常』、『つやのよる』、『結婚』など。
作家の読書道より引用)

未だ二冊しか読んではいないけれども、かなりのインパクトを持った作家さんです。アクション小説のような意味の衝撃ではなく、この作家が紡ぎだす文章の持つ香気、そして色気に圧倒されています。とくに『切羽にて』のもつ濃密な雰囲気は、女性ならではの目線なのでしょう。

比喩、隠喩を多用し、人物の内面へのベクトルを持つこの人の文章は純文学とは言わないのだろうか、などと考えていました。

そんなとき、池上冬樹氏との対談の席で、池上冬樹氏が『切羽へ』について「比喩を使って、なにか本質的なものをつかみだそうとする。これは明らかに純文学的な方法ですよね。」と言っておられる文章を見つけ、方法論としてではあるけれども「純文学的」だというその言葉に、’やはり’と安心していました。

更には、「純文学的、エンターテインメント的という区別は、読者や編集者が決めればばいいことだと思っている」ということを、井上荒野氏本人が言っているのですから、私の’やはり’という安心感は増すばかりです。

純文学という言葉にまとわりつく「高尚かつ難解さ」のイメージを持っているわけではもちろん無く、反対に、非常に読みやすく、かつ分かりやすい作品です。「曖昧なもやもやした風景を写真に撮るような感じで表現したい」と本人が言われているように、特に女性にとってはとても感情移入しやすく、また読みやすいのではないかと思われます。

それは、著者が「今書いている登場人物が悲しんでいるというのを表すのに、一番最適な言葉を使いたい」というように、じっくりと時間をかけて練られた言葉でできている文章だからかもしれません。

とにかく、たまにこの人の文章に接してみたいと思わせられる作家さんです。

[投稿日] 2015年09月02日  [最終更新日] 2016年1月12日
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