本書『エイジ』は、東京近郊の桜ヶ丘ニュータウンに住む中学2年生の高橋栄司、通称エイジの日常をリアルに描いて、友達や女の子、そして家族への感情をもてあます少年の一時期を描いている長編の青春小説で、山本周五郎賞を受賞した作品です。
これまで読んだ作品の中では一番読みごたえのある物語でした。
ぼくの名はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった―。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?…家族や友だち、好きになった女子への思いに揺られながら成長する少年のリアルな日常。山本周五郎賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
この町で起きていた通り魔事件がエイジの生活に関連してきたり、ひざの故障から好きだったバスケットクラブも止めざるを得なくなり、そのやめた後のクラブではいじめがあったり、更には少なからず思っていた女の子から思いがけない言葉をかけられたりと、エイジの日常は様々な事件が巻き起こります。
そうした生活の中でエイジは家族に対してはどこかホームドラマを見ているように感じ、また通り魔と自分との差は何なのか、とひたすら突き詰めようとします。
中学二年生という年代の不安定さが丁寧に描いてあります。
本書『エイジ』が発表された数年前に「神戸連続児童殺傷事件」が起きました。俗に「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)事件」と呼ばれるこの事件は犯人が中学生であることに驚かされたものです。本書はこの事件を受けて書かれたものでしょう。
大人の視点とそれに対する少年たちの視点の「ずれ」。この年頃の少年の内心をリアルに描写することで、「キレる中学生」に対する作者なりの答えを示したものと思われます。
この主人公の行動が平均的な中学生の行動だとは決して思えませんが、リアルな中学生像として迫ってきます。それはこの作者の筆力によるところが大きいのでしょう。
「一日一日はいやになるくらいだらだらしているのに、それが連なった毎日は、滑るように過ぎていった。
」などという青春の一日の描写は、読みながら小さな感動すら覚えました。
こういう表現で中学生の心理を描いているのですから、読み手は引き込まれる筈です。
これまで読んだこの作者の二冊の作品は本書の後に書かれているのに、本書ほどの感銘はありませんでした。
『エイジ』というこの作品がこの作者の最高の作品なのでしょうか。山本周五郎賞を受賞している作品だけのことはあると思え、だとすれば、やはりプロの文筆家が認めた作品こそが面白いのでしょうか。
また、この物語の中でも語られている、主人公のエイジという名前は、age(世代)という言葉との語呂合わせも考慮されているようです。
青春小説には多くの名作と言われる作品がありますが、中でも直木賞を受賞した作品として、金城 一紀が書いた『GO』という小説があります。
本書『エイジ』と異なり、『GO』の主人公は在日韓国人の高校生です。著者の自伝的な作品で、差別的な視線の中で苦悩する主人公の姿が描かれている名作でした。
自分を日常に結び付けている紐(ひも)を切ることが「キレ」ることなのか、と考えるエイジですが、物語も終わりに近くなり、小さくキレます。
その後のエイジの日常への回帰はまた自分の生活と重ね合わせて見てしまいます。
青春を見つめ、そして家族をも考えさせる本書は小さな感動を呼ぶ青春小説でした。