江戸の町で女が次々と殺された。北定町廻り同心の木暮信次郎は、被害者が挿していた簪が小間物問屋主人・清之介の「遠野屋」で売られていたことを知る。因縁ある二人が再び交差したとき、事件の真相とともに女たちの哀しすぎる過去が浮かび上がった。生きることの辛さ、人間の怖ろしさと同時に、人の深い愛を『バッテリー』の著者が満を持して描いたシリーズ第二作。(「BOOK」データベースより)
シリーズものの宿命として、巻を追うごとに登場人物の来歴が少しずつ明らかにされてくる、というのがありますが本作も例外ではありません。
前作から半年ほど経ち、今度は江戸の町で娼婦が次々と殺されます。そこに遠野屋の商品と思しきものが絡んできて、三人目の被害者に至っては、遠野屋の手代である信三の幼なじみだったのです。そして、その矢先に清之介が不審な男たちに拉致されるという事件が起きます。
前作で壮絶な過去の一端を示した清之介でしたが、本作では更に詳しく清之介の過去が明らかにされていきます。前作『弥勒の月』の冒頭で殺された清之介の妻おりんと清之介との恋模様や、おりんの父である遠野屋の先代や母親との交流の様子が語られ、清之介の人となりまでも深く描写されているのです。
一方、そうした清之介に自分と似たものを感じているのか、何故か清之介に絡む信次郎であり、そうした二人を心配する伊佐治でした。信次郎の心のうちが見えないといつも不満を抱えている伊佐治ですが、本心では信次郎についていきたいと思っている伊佐治の心情も明らかにされていきます。本書では、この伊佐治の過去についても少しではありますが紹介してあります。
三人の心のうちの駆け引きのうまさは、少しだけですが感じられる心理描写のくどさを打ち消して余りある面白さです。
ここまで登場人物の心理描写に踏み込んだ小説はあまり思い浮かびません。小説作法として一人称視点で描くという方法がありますが、それとも異なります。
ただ、一人称で描かれ、更に視点の主の主観にまで踏み込んでいる作品として木内昇の『新選組 幕末の青嵐』が思い浮かびました。この作品は、章ごとにその視点の主が変わりつつ視点の主である隊士を描き、その視点の先にある近藤や土方らを描き、そして新選組自体を描き出しています。人間の内面を通してより大きな組織を描き出しているのですが、本書のように湿度の高い描き方ではなく、また心の内へ向かった描写ではなく、心を通して見た客観を描いているところが本書とは全く異なります。
一人称小説は、多かれ少なかれその人の内心に向かうのでしょうが、『新選組 幕末の青嵐』はその手法が実に効果的だったので心に残っていたのでしょう。