「薮入りには帰っておいで。待ってるからね」母の言葉を胸に刻み、料理茶屋「橘屋」へ奉公に出たおふく。下働きを始めたおふくを、仲居頭のお多代は厳しく躾ける。涙を堪えながら立ち働く少女の内には、幼馴染の正次にかけられたある言葉があったが―。江戸深川に生きる庶民の哀しみと矜持を描いた人情絵巻。(「BOOK」データベースより)
江戸の下町の≪橘屋≫という老舗の料理茶屋をめぐる、七編の人情物語からなる連作短編集です。
お多代は老舗の料理茶屋≪橘屋≫の女中頭をしている。このお多代は多くの女中を育て上げてきたのだが、今またおふくという娘が新しい女中としてやってきた。
おふくは藪入りには家族の待つ家に帰ることを楽しみにしているが、その家族も行方不明になってしまう。途方に暮れるおふくだったが、おっかさんを信じるのも親孝行だというお多代の言葉を聞いて、「おっかさんやおとっつぁんを」待ってみようと思うのだった。
第一話「待ってる」はこのように始まります。
次の短編「小さな背中」は、≪橘屋≫の別な仲居のおみつの物語で、「仄明り」は≪橘屋≫の臨時雇いの下働きとして働いたことのあるお敬の物語。「残雪の頃に」は仲居のおみつの、「桜、時雨る」は、板場の下働きの小僧の物語と、それぞれの短編で異なる人物の物語が語られます。
その意味ではごく普通の人情物語であり、女性らしい優しい目線の物語、と言えるでしょう。ただ、今一歩物語の世界に入りきれないもどかしさを感じる短編集だったのも事実です。
登場人物のそれぞれが未来に向かって必死に生きていこうとしていて、作者もまたその姿を一生懸命に描き出そうとしている、という印象は受けます。
しかし、個々の物語の中心となる人物の内面の描写が、若干ですが感傷的であって、更にその説明が若干冗長だと感じたのです。感情過多と言ってもいいその印象が、全体を通してまとわりついていました。
物語全体を通してのまとめ役的な立ち位置にある女中頭のお多代が、少々人間として出来過ぎの感はあるものの、本書全体を俯瞰する存在として在ります。
最終的にはこのお多代が、そして、冒頭のおふくが物語の中心となって収斂していくその構成は、特別なものではないのかもしれないけれども、終盤になって物語としての面白さを感じることに繋がっているようです。
そうした点も含め、もう少し物語の湿度を抑えてもらえればとの思いなどのもどかしさは感じつつも、上質な人情話を読んだという読後感は残ります。もともと物語の作り方が上手い人なのだろうと思わせられる作品集でした。