家族、夫婦、子育て、はては「恋」まで診立てます。天野三哲は江戸・神田三河町で開業している小児医。「面倒臭ぇ」が口癖で、朝寝坊する、患者を選り好みする、面倒になると患者を置いて逃げ出しちまう、近所でも有名な藪医者だ。ところが、ひょんなことから患者が押し寄せてくる。三哲の娘・おゆん、弟子の次郎助、凄腕産婆のお亀婆さん、男前の薬種商・佐吉など、周囲の面々を巻き込んで、ふらここ堂はスッタモンダの大騒ぎに―。(「BOOK」データベースより)
神田三河町の、藪医者と呼ばれながらも人気のある小児科医天野三哲の家の前庭にはブランコがありました。本書のタイトルとなっている「ふらここ」とは、このブランコのことを言うそうです。
この三哲の娘をおゆんといい、おゆんの幼馴染で三哲の押し掛け弟子の次郎助、その母親のお安、「婆さんていうな」が口癖の産婆のお亀婆さん、そして薬種商の男前の佐吉とその息子勇吉などという登場人物が実に生き生きと生活しています。
本書について、著者は「市井の、少々ぬけた人々の物語を書きたくて、江戸時代に実在したヤブの小児医を主人公にしました。」と言っています。( いま、江戸を舞台に小児医を描く意味 : 参照 )
そしてこの小児科医三哲の治療法は「母子同服」と呼ばれる漢方の考え方で、「家族など人的環境から病を捉えて治療に臨む」ことらしいのですが、この点は「死人の七割が子どもだった」という江戸時代においての「子育て」をテーマに書いてもらったとの編集者の言葉がありました(以上、 「藪医 ふらここ堂」-小説現代 : 参照 )。
本書は、最初のうちは取りたてて言うべきことも無い普通の人情小説として進行します。勿論それは登場人物紹介の側面もあって、それはそれで読みやすく、面白さは持っているのですが、朝井まかてという作家の個性は強く出ているとは言えません。
しかしながら、男前の佐吉が長屋に住みはじめ、お亀婆さんとお安との開け合いも調子に乗ってくる三段目あたりからは、朝井まかてらしい、背景にしっかりとした主題が見えつつも、物語としてきちんと構築されていると感じられてきます。
医療小説としての貌ももっている本書は、第5回日本医療小説大賞の候補にも挙げられています。ちなみに、この年の受賞作は中島京子氏の、認知症の父と家族のあたたかくて、切ない十年の日々を描いた『長いお別れ』だったそうです。
医療小説大賞といえばやはり上橋菜穂子氏の『鹿の王』を忘れることはできません。この作品は医療行為というものを正面から捉えたファンタジー作品で、本屋大賞も受賞した実に面白い作品でした。
本書『藪医 ふらここ堂』が日本医療小説大賞の候補になったということは、ここで描かれている「母子同服」と呼ばれる漢方の考え方が、それなりに評価されたということでしょうか。
医療小説としての側面は抜きにしても、個人的な好みからは少し外れてはいるのですが、人情小説としての面白さも十二分に備えた物語だ感じました。
朝井まかてという作家の作品の中では決して上位に入る作品だとは思わないのですが、それでも、三哲という医者は何者なのかなどというミステリアスな話もあって、それなりに面白く読み終えることができたのです。