青山 文平

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本書『鬼はもとより』は、侍の生き方を追いかける青山文平が経済の側面から武士社会を描いた長編の時代小説です。

侍の世界を新たな視点で描き出す、魅力満点の小説です。

 

どの藩の経済も傾いてきた宝暦八年、奥脇抄一郎は江戸で表向きは万年青売りの浪人、実は藩札の万指南である。戦のないこの時代、最大の敵は貧しさ。飢饉になると人が死ぬ。各藩の問題解決に手を貸し、経験を積み重ねるうちに、藩札で藩経済そのものを立て直す仕法を摸索し始めた。その矢先、ある最貧小藩から依頼が舞い込む。剣が役に立たない時代、武家はどういきるべきか!?(「BOOK」データベースより)

 

剣に倦み女遊びも尽くした奥脇抄一郎は「藩札掛」を命じられる。世話役の佐島兵右衛門(さじまへいえもん)の急死により抄一郎が責任者となるが、飢饉に際しての藩札の刷り増しの命に逆らい、藩札の原版を持って脱藩してしまう。

その後、江戸に出た抄一郎は旗本の深井藤兵衛(ふかいとうべえ)の知己を得るなかで、藩札板行指南を業とするようになるのだった。

 

本書『鬼はもとより』は、武士の世界に経済の側面から光を当てています。

主人公抄一郎は「国を大元から立て直す仕法」の背骨を掴み取り、その仕法を別の藩で試すのですが、その流れが実にダイナミックに描写されています。

藩札の板行には正貨の裏付けが必要だが、刷る額面のおよそ三割は正貨の準備が必要、などの藩札の仕組みから説き起こしていく場面は、経済音痴の私などには実に興味深いものがあるのです。

 

とはいえ、青山文平という作者の根本は常に「侍」存在そのものの在り方を問うています。

「武家とは、いつでも死ぬことができる者であ」って、「武家のあらゆる振る舞いの根は、そこにある」との抄一郎の独白はそのことを正面から答えています。

抄一郎が見つけた仕法の肝(きも)や、佐島兵右衛門の姿から抄一郎が感じる覚悟も、「命を賭す腹」が大事ということでした。本書の少なくない個所で、侍の「死の覚悟」への言及があります。

 

青山文平の作品の中に『かけおちる』という作品があります。この作品も藩の財政の立て直しのために殖産事業に命をかける侍が描かれていますが、本書はその藩札版といったところでしょうか。

青山文平は、単に侍を描く舞台設定としてだけではなく、侍の世を経済という新たな視点から見詰め直すという試みをしているのかもしれません。

 

 

本書『鬼はもとより』では、一点、良く分からないところもありました。それは、抄一郎が女遊びにのめり込んだ時期がある、という設定の持つ意味です。

確かに、女に対して「鬼畜」と呼ばれた抄一郎に対し、その親友で獣(けだもの)と呼ばれた長坂甚八(ながさかじんぱち)が抄一郎の人生の奥底にずっと漂っています。

その点では女遊びの描写も意味を持つのかもしれないのですが、その甚八の存在そのもののこの物語における意味が、今一つ良く分かりません。作者の意図は何なのでしょう。

更には藩の立て直しの仕法を実行する東北の小藩の執政に絡んでも女が語られます。この点もよく分からない。そして、本書の最後の一行も女のことで締められるのです。

こうしてみると、女という存在が抄一郎の芯に何か影響を与えているのかもれません。

 

蛇足ですが、歴史学者の磯田道史氏が東京・神田の古書店で発見した『金沢藩猪山家文書』をもとに著した『武士の家計簿』という本があります。

この本は金沢藩の経理係であった加賀藩御算用者(おさんようもの)の猪山直之という武士の「家計簿」らしいのです。侍の「心構え」や「あるべき姿」などの観念的な側面で捉えられがちな幕末の武士の姿が、実生活という経済面、実体面から捉えているそうで、一度は読んでみたい本です。

 

 

この『武士の家計簿』は2010年には映画化もされました。テレビで放映されたものを見たのですが、そろばんを通して描かれた侍の姿が絶妙に表現されていたと思います。

 

 

[投稿日]2015年03月27日  [最終更新日]2020年8月17日
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